なぜ乾杯はビールなのか?(その3)

その1」では、「乾杯」は液体を共有するという友好儀礼であり、「仲間であることの確認」である、ということを確認した。「その2」では、みんなで乾杯するために、アルコールが苦手な人でも飲める「ビール」が用いられているのではないかと述べた。
 しかし、坪内祐三のヴァラエティ・ブック『古くさいぞ私は』(晶文社2000年)の「当世女子短大生気質」という文章に、こんな記述がある。

 ところでゼミにはコンパがつきものである。私の通っている短大はコンパにとても理解のある学校で、学年末にコンパ代三万円が支給される。

 去年のコンパは、五月の連休明けに、高田馬場の当世風ビヤホールで行った。入念なチェックをして私がその場所を選んだのだ。最近の女子大生は酒をガバガバ飲む。その店には二リットルで二千円の生ビールのピッチャー・ジョッキがある。私を含めて総勢十四人だから、ツマミを腹いっぱいとっても一人三千円弱で十分だろう。そうすると三万円プラス私のポケットマネー一万円で足りる。

 しかし、ツボウチ先生の思惑通りにはいかなかった。

 ところが彼女たちは私がさりげなくすすめたピッチャーに見向きもしない。モスコミュールだとかテキーラ・サンライズだとかカルーア・ミルクだとかいったカクテルばかりを飲む。全員が。しかも四杯も五杯も。当世風ビヤホールでカクテルは、実はとても割高である。二リットルのピッチャーは私一人で飲みほした。結局勘定は六万円を超えた。一人千五百円通しなどというセコいこと、私にはできなかった。

 私は今、今年のコンパはどうしようかと悩んでいる。

 ツボウチ先生が2リットルのビールをひとりで飲みほしたということは、女子大生は「ビールで乾杯」をせず、「モスコミュールだとかテキーラ・サンライズだとかカルーア・ミルクだとかいったカクテル」から飲みはじめたのだろう。乾杯はカクテルでやったのだろうか。カクテルでは液体の共有が出来ないではないか!
 仲間との親睦を深めるための「コンパ」なのに、個別化しているのはどういうことなのだろうか。

倫敦屋のジントニック

書を持って街へ出る