「創」九・十月号で宮台真司と佐藤優が対談している!

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 先にも書いたように2009年8月7日に新潮 2009年 09月号を購入した。その際に、書店内の文芸誌系のブースを眺めていて偶然見かけたのが創 (つくる) 2009年 9・10月号。手にとって即購入した。


 いやはや「創」なんて雑誌を買うのは、もう、就職活動時以来久しぶりである。なんか懐かしい。当時広告業界志望だったから「広告界の徹底研究」という特集のある号の購入はある意味必須だったのであった。(あと同じく創出版からでていたマスコミ就職読本も)
 宮台真司や佐藤優の著作はそれなりに読んできて、この二人が対峙したらどんな論点が生じてどんなやりとりになるのか興味があり「この二人対談しないかなぁ」なんてずっと思っていたのだった。宮台真司の近著「日本の難点」にて若干佐藤優氏に触れていたがようやく本格的な対談が読めるとは嬉しい。

 対談のテーマは「論壇誌の衰退で日本の言論状況はどうなる!?」。ぱらぱらではあるが読んでいて面白かった部分があるので引用する。それは勝間和代氏のブームに対する両者の分析である。

佐藤 また、『アエラ』というのが非常に不思議な場所にある媒体ですからね。基本的には新自由主義雑誌です。ただ、僕は、勝間和代さんは面白いと思いますね。
宮台 確かに面白い。
佐藤 彼女は、どこまで自覚的かわからないですけど、大前研一さんと似ているようで、本質的なところで、ゲシュタルト転換しているんですよ。彼女が結果として説いているのは、マルクスの資本論でいう熟練労働者になれということなんです。がんばって、代替可能な労働者ではなくて熟練労働者になれと言っている。
宮台 いまムックで出ている『まねる力』でもそう言っていますね。
佐藤 ところが彼女のやっていることは、資本家になれと言う論理ではないですよね。それからまた、熟練労働者になって、良い給料をもらったら、一部分は再配分しろと、非常に不思議で面白い言説を唱えています。

(P54-P55)

 二人とも勝間和代氏を肯定的に評価しているというのが驚きだった。そしてなにより彼女の言説をマルクスの資本論と絡めて「熟練労働者になれ」とまとめる佐藤優氏はなかなか面白い。彼女の著作をそういう視点で読み直してみようかしら。
そんなまとめを読んで、内田樹が著書「街場の教育論」で語っていた成熟についてのくだりを思い出した。メモのため、引用しておこう。

 

 成熟というのは、「表層的には違うもののように聞こえるメッセージが実は同一であることが検出されるレベルを探り当てること」、これに尽くされるのです。
 ほんとですよ。
「そんなはずない」と言う人だって、自説を立証するために、必ずや私がこれまで縷々述べてきた、どれが頭か尻尾かわからないような話のすべてについて「要するにウチダが言わんとしていることは・・・・・・にすぎぬのだ」という「まとめ」をするはずだからです。「あちらではAと言い、こちらではBという。ウチダの言うことはまことにとりとめがない」では内在的な批判にならない。批判を仕上げるためには、「ウチダはいつでもどこでも同じことを言っており、それは・・・・・・である」という「表層的には違うように聞こえるメッセージが実は同一のメッセージの繰り返しであること」を言わなければならないのです。
 ほらね。
 それがせいじゅくするということなのです。いつでも、どこでも、誰についてでも、プロセスは同じです。(P132-133)

 この対談を読んで、成熟の話についてもなんか腑に落ちた気がする。
 また、冒頭、論壇誌の衰退の議論の中で、大学で習った記憶がうっすらある「コミュニケーションの二段の流れ仮説」について、宮台氏が説明している。復習の意味も込めて引用しておこう。

 50年以上前に社会学者ポールラザーフェルトが「コミュニケーションの二段の流れ仮説」を提案し、「オピニオン・リーダー」の概念が有名になります。マスコミによって世論がどう形成されるのかについての仮説ですが、マスコミがダイレクトに受け手のオピニオンを形成するのではなく、まず小集団のリーダーであるオピニオンリーダー層に影響を与え、次にそのリーダー層が自分の小集団のメンバーに影響を与えていくという順序であることが、ある程度実証されています。

 とても有名な仮説ですが、これに関連して言えるのは、床屋政談をする場だとか、井戸端だとか、ユルゲン・ハーバマスならば「コーヒーハウスみたいな」と言いますが、マスコミ情報についての解釈や評価を表明する場、オピニオンリーダー層とフォロワー層のコミュニケーションを可能にする場が消えれば、マスコミは世論を作れなくなるか、マスコミの影響を個人が直撃するようになるので、マスコミが個人の俗情に媚び、衆愚化するんです。(P44)

 さらに、消えた「オピニオンリーダー層とフォロワー層のコミュニケーションを可能にする場」と機能的等価な枠組みがネットに生まれた、と次のように言う。

 他方ブログ界隈ではアルファブロガーという存在が、限定されたトピックではあるけれどオピニオンリーダー的な役割を果たし、コミュニケーションの二段の流れを形作っています。ラザースフェルトのいう小集団が<生活世界>の空洞化で失われる一方、ブログ界隈のコネクションが代わりを果たしはじめているというのが現状です。(P44-45)

 また、宮台氏はこんな事も言っている。

 高校倫理社会の教科書はよく出来ていますが、維新以降を近代啓蒙派しか拾わず、教学派や亜細亜主義者を無視するので、維新以降の日本人が何を考えてきたのか分かりません。(P49)

 なるほど。物足りない部分はあるが、高校倫理社会の教科書はよくできているのか。買ってちゃんと読もうかしら。そういえば高校3年の時に選択授業で倫理を選んだ友人が、読書レポートの課題であげられたルソーの「人間不平等起原論」に頭を抱えていたのを思い出した。
 この本、他にもこんな特集もある。

新潮担当者が語った出版の舞台裏
村上春樹『1Q84』の驚異的な売れ方
意図的にハングリーマーケットを作ったわけではなく、対応不能なほどの売れ行きだった!?

 これも、なんか面白そうである。 楽しんで読めそうだ。
 ・・・いろいろAmazonで検索していると宮台真司・佐藤優そして田原総一朗の対談本「大統領とファシズム」が出るらしい。チェックしないと。

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