野田秀樹と舞城王太郎が一緒に読める新潮9月号はお買い得

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 2009年8月7日 新潮 2009年 09月号を購入した。表紙にもあるが、野田秀樹の戯曲「ザ・ダイバー」と舞城王太郎の小説「ビッチマグネット」が読めるなんて、正直お得である。
the_diver.jpg とくに野田秀樹の「ザ・ダイバー」は、2009年8月20日~9月20日まで芸術監督に就任した東京芸術劇場にて上演される芝居の戯曲だ。だいたい野田秀樹の作品が上演される時はその前に戯曲が掲載された雑誌が出る。そしていつも迷う。読んでから観るか、観てから読むか・・


 でもだいたい読んでから観てしまう。なぜなら、読み進めることで、できあがる脳内イメージを実際の公演が裏切ってくれるからである。「え、こう表現するの」という驚きがあるのだ。

 例えば、野田秀樹と、吹越満、牧瀬里穂によるRight eyeという芝居の冒頭を引用する。

F  あと7時間だ。7時間で峠を越えられる。そして俺はロバートキャパだ、戦場で撮った1枚の写真が俺を神様に変える。
N 泥の皮を被った密林から、ぽっかり群青の空が見えた。峠の天辺は近い。

  男N、ワープロの前にすわる。

N (キーを打つ)『お、う、し、に、ちゅ、う、い』いや、『巨大な牡牛にに注意』。
F 巨大な牡牛に注意?
N 彼は奇妙な看板を見つけた。
F こんなところに?
N いたずらか?
F 万一いたとしても、そんなものが怖くて、戦場で写真が撮れるか、どうせ靄で大きな岩が、巨大な牡牛に見える、そんなところだ。

(P62)せりふの時代1999年冬号(VOL.10)

 この芝居は、自分の稀有な体験から書き始めた。生涯に一度と思った。その生涯というのは、私の生涯だから、そこでとどまっていればいいものを、そこがモノ書きの生来の卑しさであろうか、他人の生涯までひきずりこんだ。

 と、野田秀樹が当時の公演パンフレットに書いているように、自身の右目が失明するという体験を出発点に始まる物語である。上記戯曲のシーンは、野田秀樹自身がキーボードをたたいて執筆している場面と、その執筆中の劇世界が重なるシーンなのだが、野田秀樹は自身の執筆と吹越満が演じる劇世界両方を行き来しながら物語は進行する。
 このとき野田秀樹が叩いているキーボードは、キーボードではない。紙切れである。紙を叩くことで発する音と、キーボードを叩く音を重ねてキーボードを表現する。キーボードをたたく音が強く、はやくなることで、執筆にのめり込んでいることを表現していくのだ。こんなイメージ、戯曲を読むだけではとうてい浮かばない。
 今回の戯曲冒頭のト書きも引用しよう。

精神科医が、本を読みながら部屋へ入って来る。ソファに座り、その本を読みふける。夢中になるにつれて、本が精神科医の前に来る。
本の表紙は能面である。
同時に能の音楽が聞こえてくる。
精神科医が立ち上がる。ゆっくりと前へ出てくる。
その本の表紙の能面が、能を舞っているかのようにも見える。

(P96-97)

 本のイメージと能面を重ねて表現している!!舞台上ではどう表すんだろう。本を読むことで、情報を新たに取り入れることで、取り入れた情報を自分なりに解釈することで、読む前に比べたら人は変化しているはずであり、その変化を能面を被る、被らない、で表現しているのだろうか。まだ読み終わっていないので、想像なのだけれども。
 サイトでは、次のように紹介されている。

能曲『海人』と『源氏物語』のエピソードを現代社会で起きた事件にとり込み、重層的な展開を見せる物語。犯罪者の精神分析という形をとりながら事件の核心に迫る構造はサスペンス的で、息詰まる緊張感に満ちています。

 源氏物語かぁ。高校3年の時に1年間ずっとやってたなぁ。すっかり忘れてしまった。
the_diver_london.jpgちなみに今回の「ザ・ダイバー」は日本人俳優が演じる「日本バージョン」。「ロンドンバージョン」も存在する。英国人俳優と野田秀樹が演じている。2008年09月 〜 2008年10月に上演された。じつは観はぐっている。くそー、観ておけばよかった。本当はこのバージョン違いの見比べも面白いのだ。

 ある浜に異邦人が漂流する「赤鬼」という芝居にはロンドン・日本・タイ・韓国バージョンがある。それぞれの地域というか国家によって赤鬼が示す意味内容は当然異なる。そして舞台セットもそれぞれが異なっていて面白かった。(私はタイバージョンが美しくて一番好きだ)また「THE BEE」.という芝居も「日本バージョン」と「ロンドンバージョン」があり見比べた。これも面白かった。(特にロンドンで芝居を打つことの困難さは、左記野田秀樹 赤鬼の挑戦本に詳しい)

 ・・・いろいろ語ったが、チケットはまだとっていない。並んで当日券で観よう。私は当日券を並んでとって芝居を観るという行為が好きだ。都合のつくときに観劇できる、という利便性に加え、「芝居を観る」という行為に、「チケットをなんとかして獲得する」という目的も加わり、一大イベント化するからだ。
 余談だが一時期、野田秀樹の芝居にはテレビ系の、舞台における力量が乏しいと思われる俳優が多数出演していた時期があった。でも今回の公演は大竹しのぶ、渡辺いっけい、北村有起哉と安定しているので不安はない。あのころ、野田秀樹が手がけた歌舞伎を並行して観ていたが、俳優の力量で同じ作家の芝居でもここまで変わるのかと思った。というか、歌舞伎は主役から脇役まで、本当にトレーニングされており、日本最強のカンパニーではないかと思ったものだ。
▼野田版鼠小僧の予告編

個人的には板東三津五郎が好きだ。
 そして舞城王太郎の「ビッチマグネット」。まだ冒頭しか読んでいない。

「すねなんか好きなだけかじればいいけど・・・・・・」とお母さんがいう。「心はかじられると、痛いし、辛いし、ねぇ、苦しいし・・・・・・かじられた分、心ってのは削られて減るんだねぇ・・・・・・」

(P6)

 私は舞城王太郎作品は阿修羅ガールしか読んでいない。「減るもんじゃねーだろとか言われたのでとりあえずやってみたらちゃんと減った。私の自尊心。」っていう阿修羅ガールの冒頭がキャッチーだなぁなんて以前に書いた。今回の小説の冒頭もなんかキャッチーである.他の作品をよんでいるわけではないが、この人の小説って冒頭はキャッチーなのだろうか?まぁそれは置いておいて、とりあえず読んでみようと思う。

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