村上春樹氏インタビュー「『1Q84』への30年」(読売新聞6月16~18日)を読んだ

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 6月16~18日の読売新聞にインタビュー記事「『1Q84』への30年」が載っていたので、それをみてみよう。

6月16日(上)

 新聞には大きく「オウム裁判が出発点」と書いてある。
 村上春樹はこう言っている。

 G・オーウェルの未来小説『1984』を土台に、近い過去を小説にしたいと以前から思っていた。もう一つ、オウム真理教事件がある。

 オウム事件は現代社会における「倫理」とは何かという、大きな問題をわれわれに突きつけた。オウムにかかわることは両サイドの視点から現代の状況を洗い直すことでもあった。絶対に正しい意見、行動はこれだと、社会的倫理を一面的にとらえるのが非常に困難な時代だ。

 罪を犯す人と犯さない人とを隔てる壁は我々が考えているより薄い。仮説の中に現実があり、現実の中に仮説がある、体制の中に反体制があり、反体制の中に体制がある。そのような現代社会のシステム全体を小説にしたかった。


 そして、作家の役割についてはこう述べている。

 作家の役割とは、原理主義やある種の神話性に対抗する物語を立ち上げていくことだと考えている。「物語」は残る。それがよい物語であり、しかるべき心の中に落ち着けば。

インターネットで「意見」があふれ返っている時代だからこそ、「物語」は余計に力をもたなくてはならない。

 なるほど、と私はブログを書きながら思った。
 また、こんなことも書いてあった。

「僕らの世代が、1960年代後半以降、どのような道をたどってきたか。同時代の精神史を書き残す意図もあった」と述べた。

 この箇所を読んで、私は小林信彦の『読書中毒』(文春文庫2000年)の文章を思い出した。笠井潔 竹田青嗣 加藤典洋の「『対話編 村上春樹をめぐる冒険』(河出書房新社)をむさぼるように読んだ」小林信彦はこう言った。

 1947年生れの竹田氏、48年生れの笠井氏と加藤氏が、49年生れの村上春樹に認めているのは<60年代末の自分に固有な経験の意味を、手離さないでいる>ということである。

 そして最新作でもこのテーマが込められている。しかし『1Q84』の「版元の新潮社によると、購買者は30代以下が過半数を占め」ているそうだ。
 小林信彦はこうも言っていた。

 ぼくの考えでは、村上春樹の作品は、過去の映画のイメージにみちている。
 それから、彼がいち早く認めたスティーブン・キングの匂いも、(『ダンス・ダンス・ダンス』以後)次第に漂い始めている。いってみれば、ポップ・カルチャーからも、使えるものは、片っぱしから使ってゆく貪欲さがある。
 つまり、<全共闘の時期経験小説>として分析もできるし、ストーリーテリングの語り方でも分析ができることろが、幅ひろい読者をもつゆえんだと思う。

 私が村上春樹の小説を読むのは、時代などは関係なく、「物語」が面白いからだ。小林信彦の指摘の通りかも知れない。

6月17日(中)

「スポーツクラブに勤める独身女性「青豆」と、小説家志望の予備校教師「天吾」。二人を主人公にした話が1、2巻それぞれ24章ずつ交互に進む」。村上春樹の『1Q84』は、そういう小説らしい。

ある時「あ、青豆いいな」とひらめいた。居酒屋のメニューにあった「青豆とうふ」から連想して。天吾という名前も一緒にぽっと出てきて、「あ、これでもう小説はできたな」。2年間書き続ける間、完成への確信は一度も揺らがなかった。

 「青豆」をひらめいた→「小説はできたな」
 ということか。「青豆」がこの小説のキーなのだろうか。
 村上春樹は登場人物に名前を付けるのが苦手らしい。
 『文藝春秋』(1989年4月号)の「村上春樹大インタビュー」、「『ノルウェイの森』の秘密」でこう語っていた。

 僕は登場人物に名前をつけることができなくてすごく苦労してるんです。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』までは登場人物に名前が付けられなかったんですよ。

 僕が名前を獲得したのは『パン屋再襲撃』(1986年)という短編集、あれで渡辺昇という名前が出てきた。あれで僕は救われたんですね。

 ――しかし、名前をつけられないというのはどういうことなんですか。

 村上 それは僕も説明できないですね。名前をつけるというのがまず恥ずかしかったのね。

 ――恥ずかしい。

 村上 うん、すごく恥ずかしい。

 例えばカフカがKとか書きましたでしょう。あれは僕はすごく気持ちがわかるんです。でも、Kとか何とかはもうほかの人がやってるしね。それで渡辺昇に達したときはうれしかったですね。

(渡辺昇は安西水丸の本名である。あと上の引用は久居つばさ『ねじまき鳥の探し方』太田出版1994年からの孫引きである)
 このように名前にこだわりがある村上春樹だから、
 「青豆」をひらめいた→「小説はできたな」
 というのも、不思議ではない、かな。
 こんなことも言っている。

 作家はふつう、年を取ればその年代をうまく書く。読者も作家と共に年を重ねる。でも、僕は現在を生きて成長しつづけている若い人に、より興味がある。

 30歳の頃は30歳の自分のことしかうまく書けなかったが、『海辺のカフカ』では15歳の少年を、『アフターダーク』では19歳の女の子を自分のこととして書けた。今回は10歳の青豆の気持ちから書き始めてみたかった。とくに今回の作品では、女性の感じ方や考え方をより突っ込んで書いてみたかった。

 やはりキモは「青豆」なのか。じゃあ「天吾」はどういう存在なのだろうか。

6月18日(下)

『1Q84』は三人称で書かれている。村上春樹は、「この大きな小説で新しい表現方法を試したかった」そうだ。「結果として世界が広がったと感じるし、それは嬉しかった」と言っている。
 言語について、こんなことも言っている。

 言語とは、誰が読んでも論理的でコミュニケート可能な「客観的言語」と、言語で説明のつかない「私的言語」とによって成立していると、ウィトゲンシュタインが定義している。

ある時、私的言語を客観的言語とうまく交流させることで、小説の言語はより強い力を持ち、物語は立体的になると気がついた。プロ野球のセ・パ交流戦のように(笑)。

 セ・パ交流戦によって、ゲームはより強い力を持ち、ペナントレースが立体的になっているかは分からない。しかし、ここでプロ野球を例に挙げたのには重要な意味があるはずだ(笑)。
 なぜなら、それは村上春樹が小説を書くきっかけだからである。村上春樹は『やがて哀しき外国語』(講談社文庫1997年)でこう書いている。

 それから僕は29になって、とつぜん小説を書こうと思った。僕は説明する。ある春の昼下がりに神宮球場にヤクルト=広島戦を見に行ったこと。外野席に寝ころんでビールを飲んでいて、ヒルトンが二塁打を打ったときに、突然「そうだ、小説を書こう」と思ったこと。そのようにして僕が小説を書くようになったことを。

もし、あの午後に球場にいかなかったら、僕は小説を書くこともなく終わっていたかもしれない。そしてまあとくに文句もない人生を送っていたかもしれない。でも何はともあれ僕はあの春の午後の神宮球場に行って人けのない外野 席に――あの当時の神宮はほんとうにすいていた――寝ころびながら、デイヴ・ヒルトンがレフト線に綺麗な二塁打を打つのを見て、それで『風の歌を聴け』という最初の小説を書くことになったのだ。それはあるいは、僕の人生の中では唯一の「エクストラオーディナリーな(尋常ならざる)」出来事だったのかもしれない。

 この時の神宮球場よりは、交流戦のおかげで強い力を持ち立体的になったかも知れない。
 『1Q84』はまだ読んでいない(というかまだ買ってない、いや買えてない)。
 どんな「物語」なのか楽しみだ。

書を持って街へ出る