東京に阿修羅は降り立ったか【前編】
僕は頻繁に京王線を利用しているのだが、だいぶ前から車内にこれでもかというほど阿修羅展の広告が張り巡らされている。徐々にハートを持っていかれ、行かないわけにはいかなくなった。
朝8:30にヒロミ女史(仮名)と落ち合い、上野は東京国立博物館へ。日曜の朝という時間が行楽感を盛り上げる。女史は興味・関心の分野が僕とかなり一致しており、それでいて僕にはない視点や感性を持っている。今回のパートナーとしてはおあつらえむきだ。
上野に着くと、意外な人ごみ。休日に賑わうような場所とは思えないのだが。「田舎者には東京といえば上野なんですよ」と女史。たしかに、幼少のころは上野動物園のイメージを強く持っていた気がする。
会場の場所は一切調べてこなかったのだが、ふらふらと人についていったら辿り着いた。すでに行列ができており、20分待ち。ピーク時は50分待ちだというから、早めに来て正解だった。日傘を貸し出しているあたり、気が利いているぞ国立博物館。
胸を高鳴らせて入館。しかし第1章は興福寺の檀鎮具。堂塔を建てる際の儀式に使われる道具なのだが、ちまちましたものが多く、神像を待ち望んでいた僕は肩すかしをくわされた。
しかし女史は食い入るように観ている。「今この状態ということは、当時はすごく派手だったんでしょうね」。なるほど、そう考えると趣深く感じられる。彼女はパネルに書かれた歴史的経緯を熱心にメモしていた。僕は中学を出てから日本史を一切学んでいないので、そういう楽しみ方はしづらい。女史がうらやましかった。
大量の檀鎮具を抜けると、いよいよ神像の登場だ。阿修羅以外はまったくのノーマークで来たのだが、トップバッターの釈迦十大弟子に早くも引きつけられた。
なんだこの生命力は。身長は当時の人の標準的な高さ(つまり僕よりだいぶ小さい)であり、姿勢も落ち着いているのだが、今にも動き出しそう、いや、今動いたんじゃないか?と思ってしまうほどの存在感。「リアルな顔ですね」と女史。たしかに非常にリアルに、繊細に、造られている。それも存在感の一因か。
大きさや構図といったものは、造形物にとってあまり問題ではないのかもしれない。では何が問題かと問われたら困ってしまうが。作者の熱意?微細な技巧?とても今答えを出すことはできない。
続いては八部衆。仏法を守護する神である。十大弟子とはかなり異なる趣だった。
人間的なリアリティはない。動物をモチーフとしており、ユーモアを感じさせる。一体一体キャラが立っており、その姿はRPGの敵キャラクターを想起させた。おそらく元ネタとしてマンガやゲームに取り入れられているのではないか。「ゴレンジャーみたいですね」女史が言う。すると戦隊モノのモチーフにも・・・というのは妄想しすぎか?でもありえる気がする。
なかでも迦楼羅(かるら)という鳥をモチーフにしたものに心ひかれた。友達になりたい、と妙な感想を抱いた。なぜか親近感を覚えるのだ。
さあ、いよいよ真打、阿修羅像の登場だ!後編に続く。

