浅草でへべれけ(稲垣→ホッピー通り)
前に勤務していた会社の先輩のMさんや後輩のHくん、そしてフリーでデザイナーをしているAさんと「落語の会」を組織し、5月の連休に浅草で初の会合を開いた。浅草演芸ホールで、落語を中心とした演芸を堪能して、そのまま飲み屋へ繰り出す、という企画である。(類似組織で「おっさんの会」という会合もある。これは、一晩かけて「おっさんとは何か」について語り合うもの。これはこれで、会合があり次第レポートしたい)
当日は10時30分に浅草演芸ホール集合となり、演芸を堪能したらその足で酒場へ直行という予定であり、私もそのために予定を空けていた。
だがしかし、この2週間前ほど前に、徒歩1分圏内に引っ越したこともあり、この新居の工事関係やらなんやらで家にいなくてはならなかったりして、落語はスキップ。その後の飲酒から参戦することになってしまったのだった。
用事を片付けて浅草へ出発
当日、家での所用を済ませ、15時前に家を出た。私は東武伊勢崎線沿線に住んでいるので、浅草までは1本。しかし浅草行きの本数自体がそれほど多くないので、西新井駅で乗り換えた。
▼浅草に到着

改札を通過し、エレベーターを降りた。
▼浅草駅1階

先輩のMさんらに電話をしてみるも、連絡がつかない。まだ演芸場内で堪能しているのだろうか。
連絡があるまで小一時間散策をする
▼駅出口から一枚
連休だからか雷門方面は人が多そうだ。吾妻橋を渡ろう。
▼アサヒビール
この建物はスーパードライホールというらしい。浅草駅へ 東武電車で来ると、まるでこの建造物を見せつけるかのごとく、業平橋から急に電車の速度が遅くなる。幼い頃から浅草に来る度この不可思議な建物に心は釘付けであった。小学校の頃「あれはうんこらしいよ」と語る友人の言葉を信じて、言語化できないまでもなんとなくデカダンス的な雰囲気を感じ取ったり、また他の友人が「ビールの泡らしい」と誇らしげに語るのを聞きながら「でもぜんぜん泡に見えねぇよ」と思ったりしていて、とどのつまり一体なんなのかまったくわからないまま今日の今日まで過ごしてきた。
そこでこれを機に改めてアサヒビールのサイトで調べてみた。
1989年の竣工と同時に東京の新名所となった吾妻橋本社ビル。22階建ての「アサヒビールタワー」は、琥珀色のガラスと頭頂部の白い外壁で、泡のあふれるビールジョッキをイメージしています。隣接する「スーパードライホール」は、フランスの著名なデザイナー、フィリップ・スタルク氏によるもので、屋上の「炎のオブジェ」は、躍進するアサヒビールの心の象徴です。
アサヒビール会社概要より
確かにスーパードライでアサヒビールは躍進したという話は聞いたことがある。心の象徴「炎のオブジェ」だったとは。社員は皆あの異様なオブジェを胸に秘めているのだろうか。そのことについて不満はないのだろうか。
写真をとりまくる
▼とりあえず吾妻橋と一緒に

▼全体像を捉える

▼先っぽをフィーチャー

▼飽きてきたので隅田川を撮影

隅田川の風に当たりながら、こんどはなんとなく雷門方面へ行くことにした。参道を通り、花やしき方面へ向かおう。
▼なぜ??

電話がかかってきた!
終わったらしい。なので、とりあえず雷門前で待ち合わせをした。数分後に無事合流。じゃあどこに行こうか、という話になった。ここでデザイナーのAさんがどうしても行きたい場所があるというので、そこへ向かうことになった。 歩きながら、演芸ホールはどうだったかいろいろ聞いた。落語や漫才など、いろいろな演目が入り交じり、飽きることなく大満足だったらしい。開演した11時から終演の16時30分まで居たくらいだから、それはもう楽しかったのだろうなぁ。正直羨ましかった。なにより、同じ時間・経験を共有することで、感想を語り合える、そのプラットフォームを獲得していることが羨ましかった。その時の話をまとめると...
・木久扇は、笑点でみる以上にしっかりしていた
・木久蔵ラーメンを弟子らしき人たちが必死に売っていた
・尻が痛い
といったことであった。
ってことで向かった店は「稲垣」という店
吾妻橋を渡ってすぐのところにある店。雑誌などで紹介されている有名店のようで、デザイナーのAさんは昔からチェックしていたらしい。入店し、とりあえず、ビールを注文した。
▼店の中はこんな感じでメニューが貼ってある

もちろん、卓上メニューはあるけれど。
「完璧じゃないスか」と先輩Mさん
キンキンに凍っているジョッキに注がれるビール。「乾杯」とにジョッキ同士を軽くぶつけ合ったときの「ガチ」っと鈍い音がまたいい。雰囲気といい、完璧と口走るMさん。のどに流し込むときにの、名状しがたい至福感。そして窓から見える街路を覗けばまだ明るいではないか。こんな明るい時から酒を飲んでしまうなんて...という背徳感がさらにビールをおいしくさせる。
実はみんな11時から落語に首ったけだったので、空腹だったらしい。なのでがんがん注文する。
▼サラダ(正式なメニュー名称は忘れた)

▼煮込み。どっしりした味だった

▼テーブルの風景

▼稲バーグ

稲垣のハンバーグってことだろうか。
▼あじ南蛮

頭の先からしっぽの端まで食べられた。
▼もつ焼き

どうしてこんなにもつ焼きとビールの相性は良いのだろう。
たまたま家にあった、サッポロビールの人が書いたブルーバックス、ビールの科学には、こうある。
塩味だけでなく、脂肪や油系の料理に対してもビールは相性がよいといわれていますが、ビールの爽快感、すっきり感が口内をリフレッシュさせ、脂分のしつこさを洗い流すことがその理由として考えられます。 (P247)
なるほど、ビールが脂分を洗い流すわけか。理にかなっているのだなぁ。
酒を飲んでの与太話
酒がまわるにつれて、話の内容もわけがわからなくなってくる。「バカと頭が悪いってのは違うんですよ。そういう意味でバカが少なくて困る」っていうような話とか、プロレスの話(先輩のMさんやデザイナーのAさんはプロレスに詳しい。特にAさんは「マッスル」も含めた最近のプロレスまでフォローしている)に盛り上がる。さらに結婚によっていかに女性が変化するかを妻帯者のMさんが語ったり、後輩のH君が転職するということで転職先の話になったり。この転職が決まる前に、辞めるということを会社に切り出したらしく、逆に会社側から心配されたらしい。そんな話を聞いて「この100年に一度の経済危機といわれるこの時期に、あえて転職するその心意気に猪木イズムを感じないわけにはいかないのだよ」と猪木イズムについて語った。
「例えば自分が天国にいて、憎い奴が地獄にいるとしたら、わざわざ天国を捨てて地獄にぶん殴りに行く!そういうエネルギーが『猪木イズム』なんですよ!!」
P18
なんてくだりがお笑い 男の星座―芸能私闘編にあるのを思いだし、うろ覚えのまま上記文章をH君に話すも、プロレスに全く関心のないHくんにはぴんと来ていないようだった。(当たり前である)
ビールから梅ハイへ
なぜだろう。梅干しの焼酎割りが無性に飲みたくなった。先の本によると...
生理学的には、血液などの体液ではカリウムに比べてナトリウムが多いのですが、ビールではその逆になっています。つまり、カリウムが多いビールを飲むと尿となってカリウムを排出しますが、その時にナトリウムも排出しますので、一時的に体内はナトリウム不足になり、その結果、体がナトリウムを欲することになります。したがって、ビールを飲むと枝豆などの塩分が多いものを食べたくなると説明されています。
P246
なるほど、ナトリウムを欲しているのか。みんなナトリウム的理由なのかわからないが、ビールから、みんなが梅ハイ(梅干しの焼酎割)にチェンジした。
▼これが梅ハイ

私の母は居酒屋をやっていたのだが(いまは区画整理の影響で休業)、その居酒屋に来るお客さんはみんなビール→梅ハイという流れだった。悪酔いしないらしく、あまりにもみんな梅ハイを頼むものだから、母は梅干しを漬けるようになった。なんてことを思い出して、話す。またまだお客さんの居ない店で夕飯を食べていた高校生の頃、「ママ!ママ!」と店の引き戸をどんどん叩く男がいて、母がドアを開けると、近くに住み込みで働く左官屋だか鳶職人だかで「ママ、頼むから1,000円分だけ呑ませてくれ」と言う人がいたとかそんな話をしていた。
そして、次の店へ
なんだか満腹になったし、まだ19時をまわってきたところだというので、とりあえず次の店へ行こう、ということになり、店を出る。▼看板

▼不気味に輝く「炎のオブジェ」

▼隅田川をまた渡る

たどり着いたのはホッピー通り
気がつくと、ホッピー通りにみんなでいた。かっこよく言えばオープンエアーな店が集まっている場所である。▼愉快に演奏をする集団がいてなんか良い空間だ

みんな酔っぱらっているので、店を吟味できるわけもなく、空いている店になんとなく吸い込まれていった。
▼ここで頼んだのはデンキブラン

ここでこの酒を頼んだのがいけなかった。なんとんく、浅草なんだからデンキブランでしょう、みたいな感じで調子に乗ってしまった。
▼ポテトサラダ

▼冷やしトマト

▼煮込み

と、この辺で酒がまわり、座ってられなくなり眠ってしまった。あとで聞いた話によると、「このひとケツが半分出てますけど、大丈夫っすか?」と店員に心配されたらしい。「ケツ」という言葉を客に言い放つ店員も店員だ、と内心憤慨した。便所で久々に吐いた。そのあと店を出て駅に着くまで方々でまるでマーキングするようにやはり吐いた。こんなに吐いたのは大学生以来ではないか。
なんとかへろへろで駅にたどり着き、メンバーに別れを告げ、同一方向のM先輩と同じ電車に乗り帰ったのでした。しかし楽しかった。
そもそもこの会合の発端はこの本から...
前の会社の先輩Mさんから、引き継いだ案件についてのちょっとした質問と一緒に届いたメール文章が発端である。それは「立川談春の『赤めだか』がおもしろい、という内容だった。水道橋博士のブログで知ったらしく(私も欠かさずチェックしている)、読んだところなにしろおもしろいらしい。その話題となった水道橋博士のブログから引用すると...
帰宅後、献本された『赤めだか』(立川談春)読了。昨年、俺たちが『我らの高田笑学校』の舞台で、
『紺屋高尾』を漫才化する際に聴いた、
談春師匠の噺の上手さにぶっ飛んだ。そして、この本も『EN-TAXI』の連載を拾い読みしていたが......。
一冊にまとまり、読み始めたら、一度も止まらなかった。
巻おくあたわず。しばし、言葉を無くすほどの感銘。
同じ芸人として、批評や感想では済まない、余韻が残る。20年前、談春師匠とは、
立川ボーイズ時代、我々と舞台を共に、いや、鎬を削った。
その昔の仲間が、真打ち、落語界の重鎮、名人となっていく自叙伝である。
談志門下という、芸界の師弟の関係に対しても、
単なる読者以上の感慨もある。志らくという弟弟子とのライバル物語もある、
なにより、落語、師匠、自己が三すくみで、
響きの高い芸論に昇華されている。
そして、今、俺が読めば、お前はどうなんだ?と、
なにより、厳粛な気持ちにもなる。
私の読書リストに入っていたのだが、購入までには至らなかった。
この先輩が激賞したもので、すかさずその日に購入して読み始めた。
おもしろい。凄くおもしろい。
私が一番印象に残っているのはこんなエピソード。それは、談志宅での飲み会で、「師匠に云いたいことがあるんだ」とぶち上げ「師匠の落語論が理解できない」と始まってしまった、ある立川一門の真打の話。
「夢金なら俺のほうが上手い」と云った真打は勿論馬鹿ではない。誰もが認める技量の持ち主で、しかも夢金は彼の十八番とされている。だからこそ、あえて「夢金なら俺の方が」と根多限定で叫んだ想いの重さに、談志がどう応えるか、全員が固唾を呑んで見守っていた。
実際には一分足らずの時間だろうが、談志が黙っている間がとてつもなく長く感じた。
「あらゆる角度から考えてみたが...」
つぶやく談志の口元を全員が注視する。身体全部を耳にして聞きもらすまいと身を固くする。談志は何と云うのか。緊張の一瞬。
「俺の方が上手い」
ボソッと云った。
談春はそれを聞いてひっくり返った。他の弟子たちものけぞった。人間は極度の緊張が緩和すると前のめりにはなれないらしい。立っていた真打はとうとう泣き出した。
「私のほうが上手いんだい」
と泣きながら云った。
「子供だよそれじゃ、二人共」
「嫌な師弟だね」
といって周りの兄弟子達が笑った。談志も笑った。真打も泣きながら笑ってた。
師弟関係とは恋愛にたとえるのが一番わかりやすい、という談四楼師匠の言葉を談春は思い出した。
(P131ー133)
ウィキペディアで立川談志について調べてみると、下記のような文章があった。
三木内閣時代の1975年12月には沖縄開発庁政務次官に就任するが、就任時の会見で議員の選挙資金について「子供の面倒を親分が見るのは当然」と発言したことが問題化。さらに政務次官初仕事である沖縄海洋博視察では二日酔いのまま記者会見に臨み、地元沖縄メディアの記者から「あなたは公務と酒とどちらが大切なんだ」と咎められる。これに対して「酒に決まってんだろ」と言ったことがさらに問題となる。弁明を行うはずの決算委員会を寄席を理由に欠席するに至って、自民党内部からも反発が起こり辞任。在任期間は僅か36日であった。談志自身は、議員になったのは兼職をしてもいいと言われたからであり、自分は大衆との接点を持ち続けるのが信条だとして自民党を離党した。
談志は、相手が誰であろうと自分を曲げない人物なんだろうなぁと考えていた。赤めだかを読んで、当たり前だがそれは目下の弟子に対しても同じあることがわかった。でも弟子であるからと頭ごなしに否定するとかそうじゃなくって、一度自分のフィルターを通してその上で判断しているようにみえる。この行動原則は人が誰であっても変えていないようだ。これがとても魅力的に感じた。これが談志が談志たる所以なのだろうなぁ、みたいなことをその先輩に返信した。
するとその先輩が印象的だったエピソードを返信してくれた。それは談春が付き人として一緒にハワイへ行った時の談志の海水浴スタイル。
トリコロール柄の海パンに上はグンゼの長袖の下着、下は同じくグンゼのももひき。ウェットスーツなんてものに金を出す奴の気が知れないと、毎度云ってる談志のお気に入りはグンゼの上下。素潜り専門なので岩で足を切るのが嫌だと足に地下足袋、頭にチューリップハット、手に水中メガネ。後ろに続く談春は、立川談志と染め抜かれた浴衣姿。この格好で二人は、ホテルのフロントを抜け、ワイキキビーチを歩きまわる。談志と目が合うと、ほとんどの日本人が目をそらし、外国人は道をゆずる。ザブザブと海に入ってゆく談志は、そのまま沖へ沖へと進み、あっという間に見えなくなる。
(P131ー133)
そんなやりとりをしているうちに、落語を堪能したい、という話になり、ちょうど転職する後輩もいることから、じゃあ送別会も兼ねて...と実施することになったわけでありました。


