ほったらかし温泉から夜景を眺める

前回、嵐山光三郎の『日本一周ローカル線温泉旅』(講談社現代新書2001年)『日本全国ローカル線おいしい旅』(講談社現代新書2004年)を古本屋で買ったことを書いた。
『日本全国ローカル線おいしい旅』に岩下温泉について書いてあった。
ここには行ってみたいと思い、1月10日(土)夕方、甲府へ向けて家を出た。
岩下温泉には日曜日に入ることにして、まずは、ほったらかし温泉に行った。
ほったらかし温泉は絶景露天風呂が有名な温泉である。
朝焼け、夕焼け、富士山、大菩薩嶺、甲府盆地が見える。
私は以前、昼間に入ったことがあったので、今回は夜に寄ってみた。


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あっちの湯(新湯)とこっちの湯(元の湯)があるが、あっちの湯に入った。
ホームページにはこうある。

当温泉では、あっちの湯・こっちの湯共に露天風呂、内風呂の全てが天然温泉です。

自社保有の源泉より温泉をひき、使用しております。

お湯は毎日総入換するだけでなく、来客数の多い日には循環式を併用し、浴槽内の汚れを直ちに浄化、湯口から入る新しいお湯は淵から溢れさせる放流式の掛け流しとし、常に清潔なお湯でご入浴頂けるよう心がけておりますので、安心してご利用下さい。

この日は混雑していたので循環式併用だったのだろう。
入った感じでは、露天風呂より内風呂の方が温泉ぽい感じがした。
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露天風呂からの夜景はきれいだったが、しかし、なぜ、温泉で夜景なのだろうか。

松田 後藤さんは、温泉造りには風景ではなく雰囲気が大切とおっしゃってますね。

後藤 はい。温泉に行って、一番喜ばれるのは何か、今どういう温泉の造り方を提供するかといえば、それは雰囲気です。景色ではなくて、雰囲気を造ったら必ず喜ばれます。僕が見るところ、これが分かっていない旅館が多い。

松田 それは旅館の雰囲気ですか。

後藤 旅館もそうですが、風呂も雰囲気です。目に見える、温泉全体の雰囲気を造る。これがとても大切です。でもぱーっと広がるような景色を造ったら、むしろその温泉は喜ばれません。旅館でも同じで、今、景色のいい宿は経営にならんところが多いのではないですか。

松田 それが後藤さん独特の、非常にユニークな発想ですね。どうしてでしょうか。

後藤 それはですな、お客さんの気持ちが散るからです。

松田 景色の方に気を取られるということですか。

後藤 はい。今のお客さんは、たとえば森のような閉じられた自然の中で、ゆっくりしたいんです。昔は、海岸の温泉はお客さんに受けると言われていましたが、今、逆に経営がよくない。それは、展望が広がった景色の中では、人間の気持ちにゆとりができないからです。今のお客さんは、絶景が売り物のようなところには行こうという気持ちになれません。

後藤哲也 松田忠徳『黒川温泉 観光経営講座』光文社新書2005年

「景色よりも雰囲気」を大切にして「湯に集中できる風呂」が良いと言っている。
絶景が売り物のような風呂はダメだ、とも。
この意見には強く頷ける。
ほったらかし温泉は、絶景だし、人がいっぱいいるので、湯に集中しにくい。
でも、混雑時は循環だから湯に集中しない方が良いのかも知れない。
湯ではなく、絶景を楽しむための温泉と考えたほうが良いだろう。
また、同じ絶景でも、海と夜景とでは、意味合いが違うのではないか。
海は自然であり、夜景は人工である。
温泉に浸かるということは、日常的な空間から脱出して、自然の中でリフレッシュするという効用もあると思う。
海沿いの温泉は、湯に集中しにくいかも知れないが、自然の中にいることは実感できる。
しかし、夜景はどうだろうか。
温泉に浸かっていても、人工物(夜景)を眺めていては日常から離れられないのではないか。
日常から脱出しているのに、日常(夜景)を眺めるなんて・・・
なんてことを、露天風呂に浸かりながら考えていた。
しかし、こうも考えられるのではないか、と思った。
日常から脱出しているからこそ、日常を眺めることができる。
夜景を眺めるということは、日常の外側にいるということだ。
宇宙空間から地球を眺めるように。
日常を外から眺め、相対化し、そこから離れていることを、より強く感じることができる。
ほったらかし温泉は、そういう温泉なのかも知れない。
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温泉から出て、温玉揚げを食べて、石和の宿に向かった。

書を持って街へ出る