
津村 町田さんにとって、音楽と小説の関係は、やはり強いのでしょうか。私の場合、音楽を聴いた方だと思うのですが、文章の正しさよりも音を優先させるところがある。
町田 僕の場合、リズムに乗せて日本語を歌うことをやってきたから、考えなくてもリズムが良くなる。むしろツルツルしてしまうので、わざとカクカクさせたり、ずっこける感じにする。僕は小説で大切なのは、音楽のノイズ(雑音)にあたる部分をカットしないことだと思います。
津村 雑音ですか。
町田 世の中の新聞や雑誌に載るニュースや記事は、理路整然としている。でも、それを根底から問い詰め、排除されたものをとらえ直すことで小説は始まる。パンクとは疑うことです。
これは、「ポトスライムの舟」で第140回芥川賞を受賞した津村記久子と町田康による、読売新聞2月11日(朝刊)の対談からの引用である。

新聞を久方ぶりに切り抜いて、私の読書ノートに貼り付けてしまった。
この対談の中で、町田康は芥川賞を受賞した「ポトスライムの舟」についてこんなことを語っていた。
町田 津村さんの小説は、身につまされる場面がある。『ポトスライムの舟』で、主人公のナガセが仕事帰りに自転車のブレーキパットを盗まれるでしょう。
津村 はい。
町田 あのときナガセは、とっさに自分の年収163万円を貯金することに決めた。話の流れと脈絡がないけど、人間はそんなもんですよね。
ちょっと長いが、その部分を引用してみる。
自宅近くの少し広い道路の信号の青色が点滅して、赤に変わるのが見えたので、ナガセはブレーキレバーを軽く握って減速しようとする。しかし、どうも手ごたえが軽く、レバーは容易に内側へと折れ曲がり、反対に、車輪は一向に減速する気配を見せない。ナガセは恐怖を感じる。
停車して車輪の様子を見ようにも、まだ飛び降りられるほどスピードは下がっていないので、ナガセは体を固くして赤信号を凝視しながら、車が来ていないようにとだけ願う。 信号のある道路にさしかかると、ヘッドライトの光がナガセの体の側面を照らした。ブレーキレバーをまた何度も握るが、やはり車輪は動きを止めない。自動車の運転手は、赤信号に対してナガセが停車するものと思い込んでいるのか、そのまま道路を直進してくる。
いきなり上半身がびちょびちょになる感触を覚えながら、ナガセは左側に急ハンドルを切り、そのまま直進して、歩道側に立っている電柱にぶつかった。ずいぶん前からペダルを漕ぐのはやめていたし、ハンドルを握り締めていたので、たいした衝撃ではなかったが、初めて自ら電柱に突っ込んだショックは、小さいものではなかった。
なにこれ。なんなんこれ。
妙に息が荒くなっていた。
家まで自転車を押していき、ガレージで車輪の様子を見ると、ブレーキをかけた時にタイヤをに摩擦させることによってその動きを制御する、パッドのような部分がなくなっていることがわかった。おおかた、ヨシカの店にいる間に、誰かがいたずらで盗ったのだろう。
ナガセは、いらいらしているというのでもなく、部品を奪った人間に対して怒っているというのでもなく、落ち着かない心持ちで、次々噴き出してくる額の汗を拭った。
道路に差し掛かった瞬間に、自分を照らしたヘッドライトの光が、まだそこにあるような気がした。その時の恐怖が、再び降りかかるようにナガセの身を覆った。
深く呼吸して、それが過ぎるのをじっと待ち、ナガセはガレージの電灯を見上げた。
「わかった。貯めよう」
口をついて出たのはそんな言葉だった。怖かったー、でもなく、盗った奴死ね、でもないことことを自分が言っているのは、そんなに意外なことでもなかった。
(P348-349)※引用は文藝春秋 2009年 02月号より
ここまでのくだりを読んで「そんなもんだった」のか!と合点がいったエピソードがある。
一人暮らしをしていた大学時代の話。東京の西側、しかも山奥にキャンパスがあったので、一人暮らしをしている学生はあまり分散せずに、だいたい同じエリアに住んでいた。最寄り駅からバスで通うのだが、バス代が馬鹿にならないので、主要な移動手段は自転車。大学から家までの間はもちろん、食べ物の買い出しや、友人らとの移動もほとんどが自転車、という環境で過ごしたものだった。
ある日の大学からの帰り、同期と自転車で移動していると、突然左手前から、一時停止をすることなく自動車が直進してきた。「危ない!」という間もなく同期の自転車に激突し、その同期は若干吹っ飛ばされた。私はその後列にいたので無傷、何の被害も被らなかった。
車からあわてて運転手が降りてきて、状況を確認している。車が自転車に当たっただけのようで、同期は無傷のようだった。それどころか「怪我をしたわけでもないのに、車から出てきてもらって申し訳ない」といった風情で「あっ、大丈夫です」と恐縮した対応をしている。
そんな恐縮した振る舞いを受けた運転手が一瞬見せた「あ、おとがめなしでラッキー」的な表情・振る舞いを私は見逃さなかった。ほんのちょっとした奢りというか甘えというか、うまく言語化できないような微細なニュアンスであるが、運転手の振る舞いにおけるちょっとした違和感を感じ取ってしまった。この不快感は、被害者なのに恐縮しきっているという奇異な状況を作り出している張本人、同期のふがいなさによって増幅され、私の中で怒りに変わった。
「じゃあまぁそういうことで」と二人の間でなあなあに終結しそうだったその場に、私の「痛てててて」という痛がる声をこだました。私は全くもって無傷であるにもかかわらず、右手で左腕を抱えて片膝ついてしかめっ面をした。で「すっごく痛いっす、痛いっす、医者行きたいっす」と騒ぎ立てた。するとその運転手は我に返り一万円を同期に握らせて去っていったのだった。
「東京にびびってるんじゃないのか、そんなことじゃやっていけないよ」なんて北関東出身でまだ上京して半年くらいのその同期を諭しながら、「ま、その一万円、とりあえず自転車の修理に使ったら」と建設的な案を提案して私とその同期は別れた。同期は「修理の残額は山分けしよう」と、去っていった。
その後、いくら待っても待っても山分けを提案する気配がない。だから押しかけた、というわけではないけれども彼の家に行ってみると、鍋が新しくなっていた。この鍋について問い詰めると、その時交際していた彼女とビーフシチューを拵えることになり、あの一万円はその際の鍋と牛肉代として遣ってしまったと自白した。その瞬間、鍋を楽しそうに吟味し、高めの牛肉をチョイスしている二人を想像しやるせない気持ちになった。
「主意主義」と「主知主義」という区別がある。これも、さかのぼれば古代キリシアにたどり着く考えだ。「主意主義」では、「この世には不条理や理不尽に満ちている」と考える。それを否定して、「人間の知識はすべてをおおえる」と「考えるのが「主知主義」だ。(P56)
社会学は「主意主義」の立場だ。社会学では人が何かしたとき、社会のせいだけにしない。「その人が意志したから」と「意志」を出発点にする。(P56)
「意志」は、あそこに山があって、ここに川があって、ということがらと同じで、「訪れる」ものだ。「意志」という大もとからわかれた「意志」を「意志する」ことはできても、大もとの「意志」を「意志する」ことはできない。(P57)
「意志」は「意志」じゃないものに還元できない。(P57)
「意志」は人間の理解をこえる。人間の考えた理論にとっては「こわい存在」だ。(P57)
と宮台真司は著書「14歳からの社会学 ―これからの社会を生きる君に」で記している。
人間とは、唐突に「訪れる」意志(それはそれ以上に還元できない)によって行為を選ぶもの・・この考え方はとても共感できる。私の同期も「訪れた意志」によって「山分け」でなく「彼女とのビーフシチュー」にお金を遣ったのだろうか、なんて考えて納得してみる。
町田康曰く、ニュースとは理路整然と整理されたもので、そこから排除される「ノイズ」をとらえ直すことで文学は始まる、と言っている。この「ノイズ」こそ還元できない「訪れる意志」と考えられないか。そしてこの排除された意志をとらえ直すことが小説のはじまりであり、パンクなのだろう、と私は解釈した。それは表現とも芸術とも言い換えられるのかもしれないなぁ、なんて思ったのだった。
たとえば、町田康の小説「告白」。本の帯には・・
人はなぜ人を殺すのか
河内温度のスタンダードナンバー<河内十人斬り>をモチーフに、町田康が永遠のテーマに迫る渾身の長編小説!●<河内十人切り>とは
明治二十六年五月二十五日深夜、雨。河内国赤阪村字水分で百姓の長男として生まれ育った城戸熊太郎は、博打仲間の谷弥五郎とともに、同地の松永傳次郎宅などに乗り込み、傳次郎一家・親族らを次から次へと惨殺・射殺し、その数は十人にも及んだ。被害者の中には自分の妻ばかりか乳幼児も含まれていた。犯行後、熊太郎は金剛山に潜伏、自害した。犯行の動機は、傳次郎の長男には借金を踏み倒され、次男には妻を盗られた、その恨みを晴らすため、といわれている……。熊五郎、三十六歳の時であった。
と書かれている。この本は、明治時代の殺人事件(河内十人斬り)を題材した小説である。主人公、城戸熊太郎の幼少期から事件の顛末、そして自殺するまでを丹念に描いた大作である。(私は文庫本化してからまた買ってしまった(通勤中に読みやすいように・・))
自殺する間際のシーンから、やはり長いが引用してみる。
崖を背にし、木の根に足を踏ん張った熊太郎は思った。
大きな厭な気持ちから逃れようとしてあえて小さな厭なことをやったらもっと厭な気持ちになった。救われるのではないかと思ったけど結局は救われなかった。どっちにしろ負けを取り戻すことができないということがいま分かった。だから俺はもっと早く勝負を降りるべきだった。そうすれば負債は負債でもより小さい負債で済んだ。それがいまわかった。けれどもそんなことが分かってなにになる。俺はいま死ぬのに。それも最大限の負債を抱えて死ぬのに。俺はなぜ自分一人で死なず、他の人を巻き添えにしたのか。それは終始、自分のことしか考えてこなかったからで俺はいままで一秒も他人の身の上のことを考えたことがなかった。弥五郎を殺したのもより多くの人の死を事前に防ぐためという風に思ったがさっき転げ落ちた弥五郎のそばに行って手を合わせたときにそうではなかったことが分かった。なぜなら俺は死んだ弥五郎の顔を直視できなかったからで、つまり俺はなぜそんなことをしたかというと自分が、自分が救われたいからやっただけで、本当に浅井家の人たちのためを思ってやったことではなかった。
熊太郎は空に向かい、涙を流して言った。
「すんませんでした。全部嘘でした」
そういうと熊太郎は右足に力をいれ、胸に銃口をあて、左足指に引き金をかけ、「南無阿弥陀仏」と唱えた。
しかし熊太郎は引き金を引かなかった。
暫くの間、熊太郎はそのままじっとしていたが、やがて引き金から足を離して呟いた。
「まだ、ほんまのこと言うてへん気がする」
熊太郎は思った。
俺はこの期に及んでまだ嘘を言っている。というのは頭のどこかで悔悟して本当のことさえ言って死ねば魂は救われるかも知れないと期待している心があるからだ。しかし、そんなものは俺が滝谷不動に行く途中、この難局さえ乗り切れば道は開けると信じて歩いていたのと同じことで、ただ自分勝手につくりあげた実体のない腐った信仰に過ぎない。しかしそんなことに縋って救われたいと思われて本当のことなど言える訳がなく、俺は嘘を言ったというのは真実だけれどもそんなことが俺にとって本当のぎりぎりの生きた真実ということではない。俺は生きている間に神さんに向かって本当のことを言って死にたい、ただそれだけなのだ。
そのように考えて熊太郎は焦った。
なぜなら弥五郎を撃ったときの銃声を聞いた警官がいまにもやって来るに違いないと思ったからである。
早くしなければならない。
そう思った熊太郎はもう一度引き金に足指をかけ、本当の本当の本当のところの自分の思いを自分の心の奥底に探った。曠野であった。
なんの言葉もなかった。
なんらの思いもなかった。
なにひとつ出てこなかった。
ただ涙があふれるばかりだった。
熊太郎の口から息のような声が洩れた。
「あかんかった」
銃声が谺した。
白い煙が青い空に立ちのぼってすぐに掻き消えた。
(P673-P675)
確かに、こうした葛藤はニュースにはならないよなぁ。
他にこの対談で、町田康はこんなことも言っている。
町田 (中略)僕は世界一うどんにこだわっているパンクロッカーで、うどんの歌がたくさんあるんです。
これはこれでかっこよい。私が、「うどんマンシップにのっとる、豚骨ラーメン「田中商店」」でも言及した「くっすん大黒」所収の小説「河原のアバラ」はもちろん、詩集「供花」の目次をぱらぱらめくっていても、「うどん妻」という詩があった。
話がちょっと脱線したが、この「ノイズ」ならびに「意志」というキーワードが、これから小説を深く読むための補助線として、有効に機能しそうな気がする。平野 啓一郎の「決壊」とか読み直そうかな。でもあの小説怖いからなぁ。。
ということで、今回の名言は津村記久子と町田康の対談より町田康の発言・・
世の中の新聞や雑誌に載るニュースや記事は、理路整然としている。でも、それを根底から問い詰め、排除されたものをとらえ直すことで小説は始まる。パンクとは疑うことです。
でした。