翌朝、朝食をいただく。今日石垣島へ戻る新潟の夫婦は10時発の船に乗るため、慌ただしく身支度を調えている。おかみさんの車で港まで送っていってもらうのだというので、お別れの挨拶をし、おかみさんの運転する車で港へ向かってしまった。
「舌を鍛える」2007年秋沖縄旅シリーズ
#4:主体性なき与那国島観光、そして塩。
ひとり宿の玄関から外を眺め、さて何をしようかなぁなんて考えていると、同じ宿に泊まるOLらしき二人組が話しかけてきた。「これからレンタカーを借りようと思うのですが、ご一緒にどうですか?」という。ちょうど自分も原付バイクでも借りようかと思っていた所だったので願ったりかなったり。さらに予算的にも格安になるので良いことである。
・・・っていうところまでは私の心の中における建前であって、本音を開陳するならば、若い女性と島を回れるなんてこれはもう僥倖である。沖縄の神様ありがとう、これぞ一人旅の楽しみ、醍醐味なのだのだよ。思えば石垣島に着陸してからというものの、自分以外誰一人知り合いのいない状況下でひとりぼっちであることを再確認し、堪能した。正直もうおなかいっぱいだよ。もう少し、なんていうかあの、一人旅ならではの、旅人同士の交流っていうの?それも若い婦人とかさ、そういうのもあってもいいじゃない、なんていう渇望が全身を浸食し始めていたところであった。
喜びのあまり、素っ裸になって宿正面の道を全速力で走りたくなるような心持ちをぐっと抑えて、さもクールにちょっと間を空けて「・・・あ、いいですよ」と言うか言わないかのタイミングで背後から声がした。
「俺も!」
振り返ると演歌を聴いていたもう一人の客人だった。
・・・ドラマ的な展開になってしまったが、そんなこんなで急遽おじさんと若いOL2人組と4人で島を回ることになってしまった。宿の隣にあるレンタカー屋、与那国ホンダにてとりあえず車を借りる。おじさんが気を利かしてか、どこか後ろめたさがあるのかわからないが、代金をすべて支払ってくれた。非常にありがたい。なにか相殺された気がした。
じゃあどこに行きましょうか、とこのOLらしき2人組に聞くと、うち1人は仕事の都合で今日の飛行機で帰るという。しかもその飛行機の時間まであと2時間。なのでどこか軽く観光をし、そのまま空港へ送っていて欲しい、という。それならそれで仕方がない。ならばこのOL2人組にどこに行きたいか聞くと「東崎(あがりざき)」という。私はこの段階で与那国島についてまったく勉強してなく、意見できるような情報を持ち得ていなかったので「じゃあそこに行きましょう」と、そこへ向かった。与那国島とは東西に細長い島なのだが、東崎とは、その東端にある岬である。
運転手は私。助手席におじさん、後部座席には若いOLふたり。道もなにもわからないので標識を見ながらなんとなくそっちの方角へ向かう。助手席と後部座席は、なんかわいわいやっているが、私はけっこう真剣に目的地へ車を走らせていた。
岬一帯は緑の牧草地となっていて、ヨナグニウマや牛たちがのんびり散歩しているのどかな風景がみられる。灯台と展望台がある景勝地で、晴れた日には海上に西表島が見える(P245)
とやえやまGUIDE BOOKには書いてあった。
▼これが東崎展望台の碑

東崎と書いて「あがりざき」と読む。
▼到着するや否やみんなずんずん動く

▼灯台周辺

馬やら牛が放牧されておりなんとものんびりした雰囲気だ。
▼展望台近くに放牧されている牛

おとなしく草を食べている。
▼続いて馬

草を食べている。。
▼同じく馬

なにを想っているのだろう。
みんな微妙な距離感を保ちながらも、記念写真の撮りあいをしたり、各々が海を眺めたり牛や馬と戯れていた。そのうち飛行機の時間が迫ってきたので、空港へ向かう。あの土砂降りの昨夜、決死の行軍をした空港前の道を走る。あっというまに空港に着いてしまった。
女性を一人送り届ける。すると、今度はもうひとりの女性が、実は今日スキューバダイビングの予約を入れており、昼にその業者が宿に迎えに来る手筈になっている。なのでそれまでに宿に戻れるようなところ、つまり近場にいきたい、という。確かに昨晩、業者っぽい人が夜宿にきて、この女性と打ち合わせしていたことを思い出した。ああ、そういうことだったのか。
「じゃあどこに行きましょうか」と聞くと、この近くに彼女が熱望するスポットがあるという。先ほど同様口出しするする情報を持ち得ていないので、そこに行くことにした。
▼それがティンダバナというところ

ここには、次のように記されている。
県指定名勝 ティンダバナ 昭和49年5月13日指定
字祖内の南西に屏風のようにそそりたつ標高100mのティンダバナは、台形状の地形をなしている。眼下には祖内集落の家並が展開し、東にウラブ岳、西には雄大な東支那海が一望され、天然の展望台となっている。展望台近くの岩陰には、豊富な湧水があり、岩壁には八重山の生んだ詩人井波南哲の詩も刻まれていて、歴史の丘として島人たちの憩いの場所になっている。
ティンダバナに続く南の傾斜面には、与那国島の英雄の一人サンアイ・イソバが出生した古邑サンアイ村が立地し、彼女にまつわる旧跡も多く残されている。彼女は16世紀の末頃に与那国島に君臨した女帝とされる人物であるが、巨体で剛力の持ち主であったといわれ、政治をよく島人から尊崇を集めたと伝えられる。
沖縄県教育委員会
与那国町教育委員会
巨体で剛力の女帝…ジャイアンのお母さんを想像した。
▼ティンダバナを散策

なかなか険しい。でもずんずん進む。ふたりともあまりにもずんずん進むので、私は後から必死に追いかけた。
▼ようやく展望台に。

なかなかすばらしい景色であった。街が一望できた。
その後、じゃあ帰りましょうか、と宿に女性を送り届ける。なんだかものすごく切ない。そしてこの後訪れる、おじさんと二人での観光時間がちょっとだけ憂鬱になる。
とはいえ大人なのでそんなことおくびにも出さず、残されたおじさんと男二人、島を散策することにした。おじさんは登山が趣味らしい。常にお菓子を常備していた。自分もいくつかもらった。山に登る人間はいつでも飢えをしのげるよう、お菓子をポケットに忍ばせるものなのだという。
そのうちお互いなぜ平日に与那国島なんかにいるのかという話になった。自分は「転職前の有給消化で」と答える。するとおじさんも「同じようなものだ」という。聞くにおじさんはある会社から「うちの会社に来て下さい」と請われているのだという。で、「ならば1ヶ月だけ時間をくれ」と会社に頼み、この1ヶ月は遊んでいるのだという。さらに息子は奇しくも私と同じ年齢。大学院でなんだかを研究しているという。
さらにおじさんの話によると明後日この島にて大イベント「与那国マラソン大会」が行われるらしく、このおじさんもエントリーしているらしい。なので、早めにこの島にやってきて調整しているのだという。だから、おじさんもあと2時間くらいしたら、マラソンコースとなる道を走っておきたいのでやはり宿で降ろしてくれ、という。そしてこの車は、時間いっぱい好きに乗りたおして良いという。ありがたい。いい人だ。
そういえば、次の目的地を決めていない。「どこいきますかねぇ」なんてまた聞くと、「行きたいところがある」という。それは「この島の一番高いところ」という。異郷の地へやってくると登山家の血が騒ぎ、その地で最も高いところに登りたくなるのだ、という。ちょうどおじさんはこの島を一望できる地図を持っていた。その地図によると、島の中心からちょっとずれたところに、この島で最も高い山、標高231mの宇良部岳という山があった。じゃあそこに行きましょう、ということになりその山へ向かった。その道中、純白のランニング姿で、非常にゆっくりとしたペースでジョグをしているおじさんとすれ違う。「あの人も、明後日出るんだ、きっと」と対抗意識をほのかに燃やしているようだった。
▼山のほとんど頂上まで車でこれた

坂道をちょっと登ると、もう頂上だった。
▼頂上には電波塔が建っていた

▼見晴らしはよかった

景色をみながらおじさんは満足したようで、「与那国島にきて、この山に登った人なんてなかなかいないんじゃないか」なんて誇らしげだった。確かに、自分一人では絶対にこなかったように思う。
ここまで全く主体性なく、与那国島を観光してきたわけだが、与那国という島を一望してみて、ここにきてようやく行くべき場所があることを思い出した。それは、日本最西端である。波照間島でも有人最南端へ行ったわけだから、やはりここは最西端も行かないわけにはいかない。そうだ、そうだ。そこでおじさんに「最西端に行きましょう」と誘い、一緒に最西端へ向かった。
最西端は西崎(いりざき)という。ここで沈む夕日は日本で最後に沈む夕日ということになるらしい。
西崎灯台の手前で、自転車で目指している女性とすれ違う。必死の形相で灯台を目指していた。与那国島は山があることも関係しているのか、けっこうアップダウンが激しい。他の島は自転車が快適と言われているが、与那国島は車でないとちょっと厳しい。(島の面積も広いし)とくにこの西崎までの道は上り坂なのである。
▼入り口にはカジキマグロがお出迎え

▼灯台のある敷地内の床には、島の位置関係を示す地図が。

もう台湾が目と鼻の先であることがわかる。
▼これが石碑

おじさんと写真を撮り合っていると、先ほど必死の形相で自転車に乗っていた女性がへろへろになりながらやってきた。そして「写真を撮ってください」というので写真を撮ってあげると、そのまままたどこかへ行ってしまった。
ぽつぽつと雨が降ってきたので、そろそろ宿に帰ろう、ということになり再度宿に向かった。宿でおじさんを降ろすと、自分の部屋に戻っていった。するとまた例の演歌が聞こえてきた。
宿は朝・夜の2食なので昼は食事がない。腹が減ってきたので、宿からちょっと歩いたところにある、パン屋でパンを購入。まわりをうろうろして宿に戻ると、おじさんが今まさに走りに行くところだった。おじさんを送り出し、宿の食堂でひとりパンを食べ、どこにいこうか、やえやまガイドブックを開いた。
そういえばお土産を買っていないなぁ、なんてこと気づき、ぱらぱらめくっていると、塩が有名らしい。
Q.与那国島の塩が美味しいのはなぜ?
A.黒潮源流に最も近く、常に新鮮で清浄な海水を原料にしているから。また、昔ながらの平釜製法で薪でじっくり炊き上げているのもポイント。大量生産しない、手作りならではのこだわりがいっぱい!
Q.体に良いの?
A.そうなんです、ミネラルが豊富に含まれていますよ。甘くまろやかな味です。
Q.どうやって使うの?
A.調理用にはもちろん、結晶が大粒のタイプはコーヒーに一粒入れたり、酒のツマミにもピッタリ。塩の味そのものを楽しめます。(P263)
与那国海塩という会社の直売所が島にあり、営業しているようなので、ひとり車で向かうことにした。
▼直売所、与那国海塩の近くの小学校

天気が悪かったからか、てるてる坊主があった。久しぶりにてるてる坊主を見た。
▼ここが与那国海塩の直売所

ここで作っているらしい。
▼干してあるバケツ

なぜかカラフル
▼看板

▼中に入ると猫

▼いたるところに猫



お店の人に聞くに、塩を作る過程で海水に熱を加えるため、この敷地内が暖かくなる。すると猫たちがたくさんやってきて、そのうち居着くようになったのだという。私にとってこれらの光景は、「猫の大群」以外の何ものでもないが、お店の人はこれら猫たちの区別がつくらしく、「あの猫はこの猫のおかあさんなんですよ。そしてこの猫はかわいそういなことに・・」みたいにいろいろ解説してくれた。しかし自分はそのほとんどが理解できず「あ、そうですか」としかいえなかった。このお店の人の猫同士の関係の熟知っぷりを垣間見て、町田康の小説、人間の屑(「夫婦茶碗 (新潮文庫)」所収)の一編を思い出した。
よくよく見ると、猫というものは、悠然と往来して人の顔を見て大あくびをしたかと思ったらその場にごろんと横倒しに倒れて日なたぼっこを始めたり、木の枝に止まってちゅんちゅらしている小鳥を一心に眺めていたり、と、実に可愛いもんで、自分は縁側に腰掛けてじっと猫を眺め、ほほほ。可愛いわ。なんて楽しんでいたのだけれども、ところが、見ているとこのあたりにはいろんな猫がいるらしく、柄が似ているので同じ奴かと思っていたら、しっぽの具合が違ったりと、油断がならない。そこで自分は、猫を見る度、チーヤ、その兄スサノオ、異母弟ミューミュー、黒虎…、と、それぞれ固有の名前をつけ、それを新聞に挟まってたチラシの裏に書き記すということを始めたのであるが、そのうち、チラシの裏は真っ黒になり、なにがなんだかわからなくなったので、自分は駅前の文房具屋に出かけ帳面を購入し、チーヤと呼んでいる白黒の若猫を中心として、あちらこちらに線を引いて、この界隈を往来する猫を仔細に観察し、親子・親戚の関係を、専らその柄によって類推し、彼らの正式な家系図を作成する作業にとりかかったのだけれども、やってみるとこれが楽しくてしょうがない。(P113-114)
▼ここが売り場

いちばん粒のおおきい「花塩」というものを購入した。酒のツマミにとても良いらしい。(自分は試さなかったが)帰ってきてから、親戚にお土産として渡したら美味しい、ととても喜んでいた。自宅用にも買っておいたのだが、なんだかんだと使っているうちになくなってしまった。
こうして与那国海塩を後にした。学校から子どもたちの声が聞こえてくる。あたりをうろうろしていると、あのDr.コトー診療所のセットがあった。
▼これがセット

しかし、私はこのドラマを全く見ていないので、よくわからず、中に入ろう思わなかった。
うろうろするのも疲れてきた。
▼なので海を見ながら黄昏れた

その後車に乗ってその辺をうろうろしてみた。
▼道によくあるテキサスゲート

このテキサスゲートという段差が島には山ほどある。たとえ馬が牧場から脱走しても、このゲートより先に移動することはないらしい。至る所に馬がいる与那国島ならではだ。
そのうち日が暮れてきたので、車を返して宿に帰った。
すると例のおじさんも調整を終えたのか、宿に帰ってきていた。そしてとあるチラシを持っていた。(つづく)
「舌を鍛える」2007年秋沖縄旅シリーズ
#4:主体性なき与那国島観光、そして塩。