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2008年12月25日

東青梅「雲水」で蕎麦を食べた(それと里見真三のこと)

この前、「自宅から湯治に通う方法を考える【ロテン・ガーデン編】」を書いたが、第2弾で【河辺温泉「梅の湯」編】を書くことにした。
が、梅の湯に行く前に、河辺の隣の東青梅にある「雲水」という蕎麦屋に行ったので、今回はそのことを書く。

雲水は麺'sCLUB『ベストオブ蕎麦』(文春文庫ビジュアル版1992年)に掲載されている。
この『ベストオブ蕎麦』の解説を書いているのは、里見真三である。
里見真三を福田和也と坪内祐三はこう評している。

福田 結局、日本の料理ジャーナリストって、今までに3人しかいないんですよ。村井弦斎(明治~大正に、グルメ小説の先駆け「食道楽」などを書いた)は別として......小島政二郎と、辻静雄と、里見真三ね。
坪内 うんうん。
福田 小島政二郎(1894~1994年)が、講談とか落語の芸を評論する手法を、料理批評に転化した。'54年に出した『食いしん坊』って本が、マンガ『美味しんぼ』の原型ですよね。山本益博さんは、分かりやすいぐらい、小島政二郎を踏襲しているのね。益博さんも元は落語評論家だから。
坪内 桂文楽とかね。
福田 で、つぎにジャーナリストとして辻静雄さんがいて、最後は里見さんだよね。
坪内 うん、里見真三さんだね。文藝春秋の編集者・エッセイストとして「B級グルメ」シリーズやなんかを手がけて、ベストセラーになって。
福田 里見さんが「B級グルメ」って言葉を作ったし、ラーメンの写真を真上から撮るとか、今のグルメページのほとんどのフォーマットを作ったのは、里見さんだよね。
坪内 例の「すきやばし次郎」(★★★)だって、里見さんがフィーチャーして有名になったんだもんね。『すきやばし次郎 旬を握る』って、里見さんの著書もあるでしょう。
坪内祐三VS福田和也『正義はどこにも売ってない』扶桑社2008年

3人しかいない料理ジャーナリストのひとりであるそうだ。

里見真三についてもっとみてみよう。

『en-taxi』(扶桑社2003年秋)に「「食」の氾濫文脈―「里見真三」以後のグルメという悲喜劇」という特集が組まれていて、玉村豊男らの文章が載っている。
まず、里見真三のプロフィールを引用する。

1937年、東京・世田谷生まれ。料理の世界に生きようとして高校二年の時にラーメン屋を開くが半年で挫折。慶応義塾大学卒業後、文藝春秋に入社。『文學界』等で文芸誌編集長として活躍した後、'81年、『くりま』の編集長となる。その後、「ベスト・オブ・ラーメン」などのB級グルメの提唱者として'80年以降の"食ブーム"を先導する数々の名著を刊行。'97年、同社を退職後、岐阜女子大学観光文化学科教授を務める一方で「すきやばし次郎旬を握る」「賢者の食欲」「あらきそばの真髄」「いい街すし紀行」を刊行。2002年9月急逝。

つぎに、玉村豊男の「『くりま』と里見真三の残したもの」の一部を引用してみよう。
(里見真三はペンネームで、本名は内藤厚である)

内藤さんは『文學界』などの編集長を歴任した純文学畑の辣腕編集長で、たとえ有名作家であろうと平然と書き直しを要求する鬼編集長と恐れられた人物だと聞いていたが、『くりま』を担当するやいなや突然グルメ編集者に変身し、結局、再び文学畑に戻ることなく、最後はみずからグルメ作家「里見真三」として生涯を終えたのである。食文化雑誌『くりま』が誕生した一九八一年は、まさしくわが国のグルメブームがスタートした時期であった。
 部屋のいちばん奥のうずたかく積まれた本や書類の隙間からヌッとあらわれるのはそこで仕事をしているからではなく、机の上に俎板を置いて魚や肉を切っているからだ。部室の入口がいつもなかば開け放たれているのも、その日の献立をドアに貼り、夕食の参加者を募っているからである。メニューと匂いに誘われて、時分どきになると社内の編集者や外部のライターが集まってきて、毎日そこで小宴が開かれた。
『くりま』では、丸元淑生、高橋治、増井和子など、毎号必ず登場する座付き作家のような執筆陣がいて、私もそのひとりだったので編集部には絶えず入り浸っていたが、食事をすることはあってもそこで企画の検討がおこなわれることは滅多になかった。編集の企画はすべて内藤編集長がひとりで決めて、鉛筆をなめなめ目次を書き、書いた目次のタイトルを執筆者に示すのがつねだった。

そして、桐山秀樹の「B級グルメから職人技へ、さらにはその先へ」から。

 そういえば、彼が遺した著書を読むと、この店が旨いだの食べて口福だの、口福だ何だという賛辞は殆ど書かれていない。
 では何を誉めているのか。彼はまず「職人の仕事振り」を認めているのである。しかも「誉めて」などいない。せいぜいこの働き振りを見て、喜んでいる程度である。
「料理」についても誉めない。第一、批判の対象としているものが、寿司、蕎麦、ラーメン、丼物であり、いずれも「料理」などというものではない。彼が評しているのは、マグロ、蕎麦粉などの「素材」の良さや下ごしらえの妙であり、断じて「味付け」ではない。
 山本益博に代表される、大量の食体験批評は、このように専門分化しつつも後継者が育ってきた。その意味では、ある程度、舌の肥えた「グルメ」批評家は増えている。いないのは、里見真三のように、職人の丁寧な仕事振りを定点観測し、時代と共に変容する料理の多様さを面白がり、更に職人の本音をその専門知識で引き出し、また土地の風土や歴史を描くことによって、読者を導く、精神的にも懐の深い食ジャーナリストである。

こんな料理ジャーナリストだったそうだ。


で、里見真三の雲水の解説をみてみよう。

 国内産を自家製粉。甘皮まで挽きぐるみにしているから、小麦粉を一割~二割入れた細打ちは色黒である。「蕎麦のおいしさは甘皮にあって、(実の)芯の部分は(色は白いけど)単なる澱粉にすぎない」というのが、店主の考え。汁に使う醤油も味醂も塩も添加物なし。作りますのも、"もり""おろし""つけとろ"天もり"の四種類のみ。平日は三時間しかノレンを上げない個性的な店である。
麺'sCLUB編『ベストオブ蕎麦』文春文庫ビジュアル版1992年

確かに、素材の話だ。

しかし、データとしては古い。
今は、4種類だけでなく鴨汁蕎麦なんかも出している。

特におすすめが鴨汁。茨城の自然農法飼育の鴨を使い、上品な脂のこってり感がパンチのあるつゆにしている。
『多摩ごちそう案内Ⅲ蕎麦・寿司・うなぎ編』けやき出版2007年


店に入り、カウンター席に着いた。
メニューを見ると上の方に、

誠に申し訳ありませんが、家族営業で手不足ですので、蕎麦茶 水はセルフで
 多忙の時 ご注文に伺う事が出来ないときには備え付けの伝票にご記入をお願いします。

とある。

そうか、ここはそういうシステムなのか。
ポットの蕎麦茶を湯飲みに注ぎ、伝票に記入しようとしていると、店員がやって来て注文を聞いてくれた。
私と「妻」は、鴨汁蕎麦と野菜天もり蕎麦を注文。


これが鴨汁蕎麦。
つゆが濃厚である。


蕎麦。


これが野菜天もり蕎麦。

どちらも旨かった。

蕎麦湯が出てきたので、野菜天もりの蕎麦猪口でいただく。
鴨汁の蕎麦湯割りも飲みたくなったので、鴨汁を少し湯飲みに移し、蕎麦湯を注いだ。


これが旨い。
鴨汁の蕎麦湯割りを飲んでいたら、山口瞳の「並木の藪」の鴨ヌキについての文章を思い出した。

 並木の藪へ行くと、それが冬時分であったら、まず、鴨なんばんのソバ抜きを注文する。これを鴨ヌキという。春とか秋とかには、天ぷらそばのソバ抜き、つまり天ヌキを頼む。黙っていても酒が出てくる。「蕎麦屋の酒が一番うまい」のだから仕方がない。並木の藪は菊正宗の樽酒だ。ツキダシは固く練ったミソ。鴨ヌキで飲む酒がいい。スープで酒を飲むのがもっともうまいし、体にもいいと私は信じている。ちょっと酔ったなというあたりで、もりそばを注文する。一枚か二枚。二枚という時が多い。
山口瞳『行きつけの店』新潮文庫2000年

この鴨汁蕎麦湯割りで酒を飲んでも、きっと、うまいし、体にもいいだろうなァ。

でも、今回は車だから。

そして、「梅の湯」へ向かった。


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