自身の孤独を発見した波照間島を後にし、次の目的地である与那国島へ向かうため、石垣島に戻ってきた。時間的に中途半端だったのでそのまま石垣空港へ移動し、土産物屋前にあるベンチに腰掛けて、ここでまたガイドブックを拡げて今晩の宿を探すことにした。
すでにマイレージを利用して石垣・与那国間のチケットもとってしまっているので、乗らないわけにはいかないのだ。(当時、東京・石垣間に加え石垣と離島の往復は、プラス5,000マイルで行けたのだ。つまり合計20,000マイルで、東京→石垣→与那国→石垣→東京といけたわけである。)
「舌を鍛える」2007年秋沖縄旅シリーズ
#3:土砂降りの与那国島。あたたかいご飯に癒される。
#4:主体性なき与那国島観光、そして塩。
波照間島の星空荘と同様、事前準備をろくにすることなく、やえやまGUIDEBOOKにある宿リストから適当に宿を探した。電話したのは「民宿おもろ」。「ははん、『おもろ』そうだから、この民宿にしたんでしょう」といわれても否定はできない。波照間島でひとりしんみり過ごしていただけに、そういう願いは私の心で密かに育まれていたのかもしれない・・
電話するとOKとの返事。到着の飛行機の便を言うと、「その時間は夕食の準備で忙しく迎えに行けない。ただ2泊するのなら、レンタカーを借りるでしょう、ならばそのレンタカー屋に電話をすると良い。迎えに来てくれるから」とのこと。しかしその後空港内をうろつく、お土産屋さんを覗く、屋外へ出て伸びをする、など諸々のことをしていたら、レンタカー屋さんに電話するのをすっかり忘れてしまった。
▼これが、与那国行きの飛行機のチケットである。
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磁気で情報を読み取るとかそういう普通のチケットかとおもいきや、ただの紙であり驚いた。
▼出発の定刻になり、飛行機に乗り込んだ。
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噂では聞いていたが、プロペラ機である。
飛行機内客室の入り口で飴をもらった。せっかくなので黒糖の飴をたくさんもらう。すぐに飛行機は離陸し、さらなる西へ。30分程度のフライト。
到着した頃はもう夕暮れだった。降り立つ人々はそれぞれ迎えに来ていると思われる宿泊施設関係者またはレンタカー関係者の車両に乗り込んでいった・・っていうところで思い出した。電話していないことを!
「これはやばい」と思いながら外を見るに、スコールとでも形容せざるを得ないような土砂降り。外はもうとんでもないことになっていた。空港内はさっきの飛行機が与那国空港発着の最終便ということもあって人はどんどんいなくなっていく。空港内の商店はすでに閉まっている。
タクシー・バスなんてあるわけなく、ひとり空港に取り残されてしまった。そんな状況に気が滅入ってきて、電話で助けを求めるテンションもなくなり、やぶれかぶれになり、歩いていこうと決意する。やえやまガイドブックにある島全体の地図と街の地図によれば、宿のある祖内という集落は空港の正面の道を東におよそ3キロ。「なるほど右が東だから、空港を背中にしたとき左にまっすぐってことか。これはどう考えても間違えていない、少なくとも論理的には」なんて自分を慰め、行軍を開始した。
▼これがそのときの地図
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空港を背中に、土砂降りの中この地図を凝視したのだ!
その雨はひどく激しい。目の前がちゃんと見えない。カメラ・携帯電話だけは死守せねば、とタオルにぐるぐる巻きにしてビニール袋でさらに覆ってバッグの最深部へしまった。縦横無尽に打ち付ける雨のせいで、私のズボンはびしょ濡れである。ジーンズなので雨を吸ってどんどん重く、そして肌に張り付いてくる。Tシャツも同様。靴も水を吸って一歩一歩歩くごとに、水を吸った靴特有の音を醸し始める。
そのうち日も暮れてきて真っ暗。電灯もなく、遠方にみえるオレンジ色に灯るガソリンスタンドの光を頼りに「論理的に正しい」その方向へ直進する。歩きながら、本当に着くのかどうか不安になる。そしてその不安を目の前に拡がる暗闇が助長する。そして「日本の西の果てで、いい年して私はいったい何をやっているのだろう」と、大学時代に洞窟の中で思った時と同様自問する。だがしかし、形而上学的な問いの前に、私は目前の雨と戦わなければならない。この雨をどうしのぐかの方が重要である。もしもたどり着けなくても私のポケットには黒糖の飴が2つほど残っている。たどり着けなかったら、それをなめながらどこか雨をしのげるところで一晩夜を明かそう。そんなことを真剣に考えていた。
あの歌はなんだろう、峠の向こうから聞こえる。いや空耳だ。昨日の夜、アンコールワットの回廊できいた歌だ。千古の昔より変わらぬあの塔の中の空気、前の通りの臭いまでも覚えている。黄昏の中を一人二人と、夕刻の祈りに集う村人、ああ人だ、人だ、人間の臭いだ。目を閉じても見える……ああ、人に会いたい。
(P76せりふの時代 1999年冬号)
これは、劇作家野田秀樹の「Right eye」という戯曲の一節。カンボジアの山奥の森をひとり彷徨う吹越満演じる日本人カメラマンのセリフの引用である。この豪雨の中、なんとなく自分に重ねながらこのセリフを思い出してしまった。
この吹越満演じる日本人カメラマンはその後、悲しい運命をたどることになるのだが、幸運にも私の場合は集落に入ることができた。雨のおかげで地図はびしょびしょになっていた。宿の手前には、レンタカー屋の「与那国ホンダ」があるはずで、それを目印に歩くと看板が見えてきた。ああ、やっと着いた。着いたのだ。
▼これが、民宿「おもろ」の外観
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翌日に撮影しました。
緊迫した状況から急遽、安堵感に包まれると冷静に考えられるものである。なりふり構わずここまで歩いてきたのだけど、こんなびしょびしょで宿に現れたら、宿の人は私を天の邪鬼な奇人と認識するのではないか、そしてまともな接客が受けられなくなるのではないか、と急に不安になってきた。
すると私のなかの自意識過剰な側面が発動し、宿の門前で身体にまとわりついている雨を執拗に払いはじめた。そして、なにもおかしなことなどない体で、「いやア参ったネ、雨に降られちゃったヨ」なんて軽い気持ちを装い、宿の玄関の引き戸を引いた。
宿に入るといいにおいがする。そうか、夕食の時間なのだ。誰もいないので「御免下さい、今晩お世話になるものですが」と宿の人を呼ぶと、厨房からおかみさんが出てきた。開口一番「まさか、歩いてきたの!」と一喝。完全にばれていた。あわわしていると、「風邪引くからお風呂に入っちゃいな」といわれ、私の泊まる部屋に荷物を置くと、言われるがまま風呂というかシャワーを浴びたのであった。
▼ここが「民宿おもろ」の食堂
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木目調のとても落ち着ける空間である。そして右奥が・・
▼私の泊まった部屋
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その日の晩は、豚肉をパパイヤで煮込んだという料理をいただいた。とてもおいしかった。(写真をとっておけばよかった)そしてカジキマグロの刺身。面白かったのが刺身のツマである。大根ではなく、与那国島特有の長命草という植物なのだ。ちょっとほろ苦いが、おいしい。食事のあとはオリオンビールをジョッキでいただきながら、この食堂でだらりと過ごす。書棚を眺めると与那国島の図鑑の他に漫画本がたくさんあった。目に入ったのはドラマ化にもなった「Dr.コトー診療所」。ドラマ版はここ与那国島で撮影されたからなのか、けっこう盛り上がっているらしい。ドラマの誰々と、島のどこどこで飲んだとかそういう話をこの島でよく聞いた。白衣も用意されていた。
おかみさんに聞くに実際にドラマの中と同じシーンを白衣を着て自転車で「Dr.コトーごっこ」をする人もいるのだという。そしてその人たちが宿に白衣を寄付していくので、デフォルトで白衣がある状態になっているそうだ。
この日宿にいたのは、私の他に新潟からやってきたという若い夫婦。そしてOLらしき若い女性2人組、そして一人で来ていたおじさんだった。食後、若いOLらしき2人組は二人でどこか行ってしまい、おじさんは自室で演歌を聴いていた。結局この宿のおかみさんと新潟からやってきたという夫婦と4人でとりとめもない話をして過ごした。
この新潟からやってきた若い夫婦は、行きは飛行機で石垣よりやってきたが、帰りは船で石垣島に戻り、そのまま飛行機で帰る予定なのだという。それを聞いたおかみさんは一瞬顔を引きつらせた。
そもそも与那国に到達するルートは飛行機か船かの2通りあるのだが、そのうち航路は通称「ゲロ船」と呼ばれているのだ。基本的に外洋で出ると船はとてもよく揺れるのだ。波照間島へ船で渡ったときも、外洋に出たとたん揺れがひどくなったものだが与那国島の場合、距離が距離なのでその状況が4時間近く続くのである。
「あんたー、それゲロ船っていってすごい揺れるのよ。船に洗面器があるんだから」とおかみさん。「いや知らなかったんですよー」と旦那さん、そしてにこにこしている奥さん。この夫婦はどうしてもこの日本の「果て」にいきたかったのだという。しかし旅程の都合上有人最南端である波照間島には行けないらしく、それが心残りらしい。波照間島に今朝までいた自分が「いい島でしたよー」なんて話をしたら、「今度絶対行こうな」と奥さんに語りかけていた。おかみさん曰く、離島と人には相性があるらしく、人によっては島に降り立った瞬間調子が悪くなる場合もあるらしい。そしてそういいう状況を「神高い」というらしい。与那国島も当然「神高い島」と言われ、人によっては飛行機で降り立った瞬間調子が優れなくなり、そのまま飛行機で石垣島へ帰ってしまうケースもあるらしい。(私はそんなことなかったが)
そんなこんなな話をしているうちに22時を過ぎようとしてきて、解散となった。私はその後も食堂にのこり、お茶を飲みながら「Dr.コトー診療所」を読んでいた。そしてそのうち飽きてきたので歯を磨きながら宿の外に出てみた。
▼雨は止み、暖かい風がいていた。
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正面のガソリンスタンドに明かりが煌煌と灯る。また向かいにある建物の2階から三線のの音が聞こえてきた。誰かが演奏しているのだろう。普通に三線を弾くという文化が決して古びることなく定着しているのであろうか。
そのあと部屋に戻りまたあの本を読んでそのまま寝てしまった。
「舌を鍛える」2007年秋沖縄旅シリーズ
#3:土砂降りの与那国島。あたたかいご飯に癒される。
#4:主体性なき与那国島観光、そして塩。