エジプトの便器に温水洗浄便座の基本を見た

トイレで用便後に紙を使ってお尻を拭く人の割合は全世界では実は約3割程度なのだそうです。そしてその残りは…、と考えたときに有力になってくるのが水を使うやり方。イスラム教やヒンズー教では排泄物は不浄のものとされ、水で清めるものだとの教えがあるため、合わせて20億人弱、地球の人口の3分の1近くを占めるの二つの宗教の信者のほとんどは水を用いて用便後の処理をしていると考えられるのです。
そういった水で洗う文化圏のトイレには個室の隅に水が入ったひしゃくのような容器が置いてあるという話を良く耳にします。そこに溜まっている水を手で汲みだし、自らの手指を使いながら汚れを落としていくというのが正しい使い方のようです。私はこの話を聞くたび、このような水で洗う習慣が根付いている地域こそ温水洗浄便座の販路として可能性があるのではないかということを考えていました。やはり座ってボタン一つでお尻がきれいになればそのほうが便利だろうと考えたためです。しかし、この考えは実際に「水洗い文化圏」であるエジプトに出かけた際にある程度間違えていなかったなと感じた反面、温水洗浄便座が幅広く普及するのは私が考えていたほど簡単ではなさそうだなとも感じました。というのも、現地の便器がすでに日本の温水洗浄便座に近いことを非常にシンプルな方法で成し遂げていたからのです。


まず始めにに少し本題と外れてしまいますが、このコラムを書くにあたって調べ物をしていたところ海外のトイレ業界に大きな動きがあったことがわかりましたのでそちらについて少し触れたいと思います。
エジプトで見かけた便器のほとんどはIdeal Standardというブランドの物でした。実はこのブランドの便器はヨーロッパにおいてもなかなか有力で、結構頻繁に見かけます。しかし、コーラーやアメリカン・スタンダードなどの他の海外メーカーと比べて日本ではあまり見かけませんし耳にもしません。その謎を解くヒントはこのロゴにあります。

何となく既視感を覚えるロゴではないでしょうか?以前にこのコラムでも紹介したこのロゴに酷似しているような…。

これは米国American Standardのロゴ。同じ文字色に筆記体を用いた特徴的な字体までそっくりです。これは一体…?
それもそのはず。Ideal Standardはもともと米国American Standard社の欧州・中東・アフリカ向けのブランドだったのです。アジア向けはAmerican Standardブランドで販売されているのでIdeal Standardブランドは私たち日本人にはなじみがなかったというわけです。
しかし、そのIdeal Standardブランドに転機が訪れました。昨年American Standard社が昨年に事業再編を行うと発表したのです。この会社、多くの日本人にとっては水周り関係のメーカーというイメージしかないと思われますが、実は空調設備や車両制御システムなども取り扱っていて、むしろ空調関係の事業がメインだったそうなのです。今回の再編で本業である空調事業に専念すべく水周りと車両制御システム関係の事業は切り離され、水回り事業は投資ファンドに売却されることになりました。その際、水回り事業は米国国内向けの事業と外国向け事業とに切り離されることになり、これまでブランド名であったIdeal Standardの名は昨年11月から新たにベルギーのブリュッセルに本社を置く国際的な水周りメーカーの社名として新たなスタートを切ることになったのです。これに伴い、製品に付けられるロゴもこれまでのブラウン文字の筆記体からブルーを基調とした新しいものへと徐々に変更されるそうです。ブランド展開はこれまで通りとのことで、アジアは引き続きAmerican Standardブランドの製品が売られるそうですが、新しい組織となったIdeal Standard社の今後の動きに注目したいですね。
さて、長々と書いてしまいましたが本題に入ります。

こちらがその便器です。ぱっと見た限りでは普通の便器とほとんど変わりがありませんが、便鉢内に注目を。何か金属的なものが付いているのが確認できるかと思います。そしてその部分を拡大したのが左の写真、なにやら穴が開いていますね。この位置に穴…?もしや…。

そして便器の右側、便座の付け根の下あたりには水道の蛇口のようなものが…。取り付けられている位置、そして握りやすいように大きく、手の形に合わせて凹凸が作られた計上などから察するにこれは日本の便器に見られるような緊急時に水を止める際に使うような性格の蛇口ではなく、日常的に操作するために作られたされたもののようです。
便鉢の奥に穴、そして右側面に大きな蛇口。そしてここは「水で洗う」文化をもつエジプト。これらの条件から私の推測はほぼ確信に変わっていました。いざ便器に腰かけ、右側の蛇口を握りしめました。そしてゆっくり、少しずつ蛇口をひねっていくと…。
「おっ!」
予想通りでした。水流が私のお尻を静かに洗い始めたのです。蛇口をよりひねることにより最新のウォシュレット・アプリコットに匹敵するほどの水流をも得られ、洗浄力はなかなかのものだと感じました。(ノズルが一穴ということもあり、シャワートイレD1やクロス・オ・マットほどの重厚感は感じなかったのでウォシュレット・アプリコットとしました。)もちろん温水は出ませんし、日本の温水洗浄便座のような至れり尽くせりの機能はありませんが、「洗う」という点に関してはこれで十分じゃないか、とさえ思ってしまいました。お尻を動かせばムーブ機能と同じ効果が得られますし、蛇口をひねって戻してを繰り返せば手動マッサージ洗浄なんていうことも不可能ではありません。ハイテクに慣れた私ですが、機械に合わせて人が動くというアナログの妙味というものを味わえた気がしました。

このようなおしり洗浄用ノズル内蔵の便器の普及率は高いようで私が立ち寄った場所の2件に1件程の割合で装備されていたような印象があります。上の写真のように列車内のトイレにも装備されていたほどです。ペダルを踏むと下の線路が見えるいわゆる「垂れ流し」式のローテクなトイレだったのですが、水で洗えるという点においては日本のほとんどの列車トイレよりも進んでいました。ただ、中にはノズルが長期間の使用で曲がったままになっている個体もしばしば見受けられました。ノズルは固定式のため一度曲がってしまうと常に的外れな方向に吐水し続けることになります。この部分については改善の余地があるかなと感じました。
このように、お尻を洗うということに関してほとんど不満の無い動作を日本の製品とは比べ物にならないほどシンプルな構造で実現したこの便器との出会いによって、イスラム教徒であるエジプトの人々は便器に座りながらにして水で洗うという行為に便利さを感じていることを身をもって感じました。しかし、冒頭で述べたとおりすでにこのような製品がある以上、日本の温水洗浄便座の多機能は多くの人々にとって必要性を感じないものなのかも知れません。
もともと紙で拭く文化だった日本に水で洗うという文化を根付かせるために日本の温水洗浄便座は暖房便座や脱臭、果ては音楽再生と付加機能を足し算していくことで毎日の習慣であるトイレタイムを快適にするハイテク商品としての印象を消費者に与えてきました。それに伴い消費者の認識もお尻を洗うことが最先端であるという風に変わっていき、温水洗浄便座を所有することが一種のステータスとなるような風潮を作り上げられたことによりここまで普及率を上げてきたように思います。対してエジプトをはじめとするイスラム教圏やヒンズー教圏ではもともと用便後は洗うのが習慣ですからお尻を洗う装置に対して特にぜいたく品としての側面を求めることはなかったのでしょう。水をくみ上げて、指を使ってきれいにする。この過程を楽にするものとしてノズル内臓の便器が生まれてもそこに温かい便座や脱臭などのプラスアルファの機能があったらいいのではないかなどということは考え付かなかったのではないでしょうか。同じお尻を洗う商品でこれだけの差、この違いはまさにお尻を洗うことが「一種のステータス」なのか「習慣」なのかの違いに直結しているといえるのではないでしょうか。
今回はお尻を洗う習慣のある国のシンプルながらも工夫に富んだ便器の紹介でした。構造のシンプルさは価格に直結するでしょうからおそらく多くの人にとっては基本的な機能を押さえながら格段に安価なこのような便器の方に魅力を感じることでしょう。温水洗浄便座の拡販はやはり、TOTO・INAX両者の読み通りオイルマネーに活気ずく中東の富裕層あたりが有力なのでしょうか。
それではまた。
<今回紹介したトイレ>
ルクソールのお土産物店
<関連リンク>
INAXがインドとドバイで新市場を開拓
TOTOに続き、INAXも進出するそうです。
TOTO Eco Washer
エジプトと同じくイスラム教徒が多く、水で洗うのが主流のインドネシアのTOTOWebサイトでこんな製品を見つけました。電源を必要とせず、しかもレバーをひねるだけの簡単操作という今回紹介した製品に非常によく似たコンセプトの製品です。シートタイプで取り付けが容易なのとノズルが伸縮式なのがアドバンテージかもしれません。しかしTOTOも地域に合わせてこういった製品を用意しているとは…、さすがです。
シンガポール絵日記
TOTO Eco Washerを自宅に実際に取り付けた方のブログです。なかなかの使い心地だそうです。
<参考文献>
東方見便録―「もの出す人々」から見たアジア考現学
アジア各国の文化を「排泄」という切り口から考察しています。各国のトイレの形態や人々の宗教観と排泄との関係(特にヒンズー教徒の「不浄」観に関する記述にはなるほどと唸らされました)など興味深い内容となっております。

衛生陶器愛好家の、トイレ巡礼