これまで私は、
「古今亭志ん生の酒」
「古今亭志ん生の酒(2杯目)」
「金原亭馬生の酒(1杯目)」
「金原亭馬生の酒(2杯目)」
「金原亭馬生の酒(3杯目)」
を書いたが、志ん朝については、まだ書いてなかった。
(特に理由はないけど)
この度、志ん朝のDVD『落語研究会 古今亭志ん朝 全集 上』が発売されるので、「古今亭志ん朝の酒」を書いてみよう。
まずは、美濃部美津子『三人噺』(扶桑社2002年)より。
それと反対なのが、志ん朝ですね。楽屋の人たち皆連れて飲みに行っちゃう。人に気を遣う子なんですよ。
そいで、最後までちゃんと付き合うの。お弟子さんの話では、飲みながら芸の話以外に、噺家仲間や役者さんの逸話なんかも喋ってたそうです。それがまた、巧いんですって。
「楽屋話が一番、巧いのは、ウチの師匠ですよ。皆もう、聞き惚れちゃうんです」って、弟子の志ん五さんも言ってましたから。
志ん生は人付き合いが苦手で、仲間とはあまり飲まなかったようだが、志ん朝は違ったようだ。
志ん生との違いでいえば、飲むものも違う。志ん生は日本酒党だったが、志ん朝は「何でもいけた」。
目がないのは、何といってもお酒。料理にあわせて何でもいけた。
糖尿を気にするようになってからは、おかみさんのチェックが入るようになったものの、旅先のホテルのベッドの下からビールの空き缶が大量に出てきて、おかみさんがあきれたことも。
(高田文夫 笑芸人編著『ありがとう笑名人第一巻』白夜書房2003年)
ブランデーやバーボン、ウォッカも飲む。
志ん駒 二階に志ん朝さんの部屋があって、掃除にいくと、ネタを書いた大学ノートがドカーッと積んであって、煙草の吸殻なんかもう山のようでね。で、ブランデー飲みながら一晩中稽古してるから、一本半ぐらい空いちゃってる。
志ん駒 ええ。でも若い頃は、談志さんが来ると、二人でバーボンやウォッカの飲みくらべして、へべれけになったり。
(古今亭志ん駒 古今亭志ん五 玉置宏「まずは座談会を一席。」高田文夫 笑芸人編著『ありがとう笑名人第一巻』白夜書房2003年)
ブランデーを一晩で1本半は飲みすぎである。
志ん朝と2度対談をしたことがある小林信彦は「こわいほど飲んだ」と言っている。
生活を昭和十年、二十年代風に変えたいといったぼやきのあとで、
「先生、お家を継いだ方がよかったんじゃないですか」
と笑った。
笑ってはいるが、十八番の「小言幸兵衛」的世界に入っており、前回の時もそうだったが、氷を入れずに強い酒を飲むのが、下戸のぼくにはこわかった。
(小林信彦『名人』朝日選書2003年)
それは贈られてきたばかりの雑誌で、志ん朝さんが林家こぶ平と対談をしている。不思議な企画なのだが、志ん朝さんの顔写真が只事ではない。
客席で見ているだけでも、志ん朝さんがやせてきたことはわかっていた。お酒飲みだから、糖尿病だろうか、とも思った。ブランデーに氷を入れず、うまそうに飲むかつての姿がダブった。
朝太の名のころから<将来の名人>と目され、明るく、のんびりしたマクラと、人間描写、とくに色っぽい女のうまさに定評があったが、ぼくには想像するしかないうっくつのせいか、こわいほど酒を飲んだ。対談していて、おそろしくなったことがある。
(小林信彦『物情騒然。』文春文庫2005年)
そして、寝酒。
志ん朝の酒好きは「お家芸」ともいうべきものだろう。志ん生も、兄の馬生も、大酒飲みだった。寺田の話。
「志ん朝のお酒は、非常にいいお酒ですね。いいお酒なんだけど、一ついけないのは、寝床に入ってさあ寝ようかというときに、必ず一杯寝酒を飲むんです。それまでさんざん飲んでいても、習慣になってるんです。それが余計だっていうんです(笑)」
酒が好きというのは遺伝なのだろうか。酒が身体に合っているのかも知れない。けれども、飲み過ぎれば体を蝕むのは明らかなこと。かなり若い時分から肝臓は悪かったという証言もある。
(大友浩『花は志ん朝』ぴあ2003年)
(ここに出てくる寺田とは志ん朝とドラマで共演したことがある俳優・寺田農である)
私も外で飲んできて、家で少し飲み直す、という飲み方は好きである。
なぜか、ちょっと追加したくなるのだ。
この寝床で一杯の気持ちはよくわかる。
しかし、これが身体に良くないと思うのだ。
志ん朝は、よく洋酒を飲んでいる(私の読んだ本に偏りがあるのかも知れない。日本酒も大好きだったようだ)。
外交官を目指したり、外車を乗り回したり、ジャズをやったりするハイカラな志ん朝好みがあらわれているのだろうか。
落語ワールドのような家で生まれ育った師匠だが、そこは若旦那。車にジャズと、ハイカラなものに夢中になった。一時は車が恋人という時期もあり、アルファ・ロメオ1600スパイダーという日本に一台しかない外車を当時のお金で百八十九万、ポンと出して買ったというのはあまりにも有名な話。
(高田文夫 笑芸人編著『ありがとう笑名人第一巻』白夜書房2003年)
次に店での飲み方をみてみよう。
「鈴音」という志ん朝のなじみの店があった。
そこではこんなものを好んでいた。
――いつも、お刺身とごはんを召し上がってたんですか。
康正 なかでも好物はカツオ。それも炙ってたたきにする食べ方は嫌なんだって。そのまま厚切りにした刺身が好きでしたね。
幸子 他には冷やしトマトと奴。もうひとつ、必ず、おみそ汁は胡麻汁。胡麻汁ってね、ナスのおみそ汁の中に煎ってからすりおろした胡麻をいっぱい入れたものなんだけど、それが大好きでね。
康正 「おじさん、胡麻汁あるかい?」「ございますよ」って。ほんと、うまそうに食べて、嬉しかったねえ……。
(『東京人』都市出版2003年12月号)
もう一軒。
「古今亭志ん生の酒」で志ん生が「天庄」の天丼に日本酒を入れることを書いたが、志ん朝流は「天ぷらで飲んで、メジ(鮪)などでご飯」らしい。
親父は天丼が出来上がると蓋をとって、酒をグーッと飲んで、ちょいと残ったやつを天丼にかけて蓋をしてね、しばらく蒸してから食べる。あたしは、ここの刺し身も割に吟味してるんで、天ぷらで飲んで刺し身でご飯をいただくことが多いですけど……
(高田文夫 笑芸人編著『ありがとう笑名人第一巻』白夜書房2003年)
食べ物のことを書いた後で、たいへん申し訳ないが、最後に「ウンコもらし事件」について。
その事件を知った我らは志ん朝を取り囲んだ。「師匠、やっちゃったんですって?」「いや最初は屁だと思ったんだ。したらこの屁が熱くてさ。しまった、屁じゃないってんでトイレに駆け込んだが、強烈な第二波がやってきて、間に合わなかったんだよ」。
大二日酔による志ん朝の失態であるが、なぜ二日酔になったか。前の晩、談志と痛飲し、ウォッカを一本ずつ空けたのである。そしてその時、志ん朝は志ん生を継ぐことを高らかに宣言したのだ。
(立川談四楼『大書評芸』ポプラ社2005年)
志ん朝は、志ん生を継ぐことなく、2001年10月1日、肝臓がんで亡くなった。
(日刊スポーツ・訃報・古今亭志ん朝さん)