法師温泉は「ダメ」なのか

湯宿温泉の大滝屋を出て、法師温泉に行った。



つげ義春と正津勉は対談「つげ式生活の最近」(『つげ義春旅日記』旺文社文庫1983年)でこんなやり取りをしている。

正津 (略)この前、法師温泉行って来たの。
つげ あ、そう。
マキ 全然ダメでしょ、もう。
つげ ダメよ、あんなとこ行ったって。
正津 いや、違うの。ちょっと病気の時で、あまり淋しいとこ行けなくなっちゃってね。
つげ うん。
正津 でも、法師はもう完全にダメね。
つげ あそこ、僕はもう十何年か前に行ったけど、その時でも既に良くなかったですもんね。温泉の案内雑誌っていうと、必ず載ってるから、俗化しちゃって。ほら、正津さんと一緒に貧乏な温泉に泊まったじゃない。湯宿。
正津 湯宿……。この前、行った、あそこは、昔のままだった。
つげ あ、そう。
正津 なつかしかったあ。
つげ 湯宿はまだね。なんか最近聞いた話だと、まだ二、三千円で泊まれるんですよ、二食ついて。
正津 そう、そう。
つげ いいんですかね、そんなに安くてねえ。
正津 変なとこだったね、あそこは(笑)。
つげ 貧乏人の行く温泉だね。
正津 温泉も行ってないの?
つげ うーん、時間もないし……(笑)。
―― 変なとこってどんなとこなんですか?
つげ あれですよ、温泉らしいムードなんて何もない。ふつうの民家があって、その中に民宿が四、五軒あるだけなんですよね。だけどふつうの民家ってのが、昔の三国街道の宿場なんですよ。だから、宿場の面影があって、道を通り過ぎると温泉とか気がつかないで行っちゃいそうだけど、ちゃんとホントに温泉は出るんですよ。で、昔の宿場のたたずまいだから、家なんか崩れかかって貧しい感じなんですよね。温泉なんていうとネオンがついてなんていうのと全然違う感じなんです。で、宿代も安いし、湯治場なんですよね。

この対談を読んで、湯宿温泉に行きたくなったのだが、法師温泉にも行ってみたくなった。
つげ義春が「ダメ」だという温泉はどんな温泉なのか、確認したくなったのだ。
ところが、行ってみると、法師温泉は素晴らしかった。
松田忠徳は『温泉教授の日本百名湯』(光文社新書2003年)で法師温泉長寿館をこう評している。(※1)

鹿鳴館風の浴場は幾度訪れても新鮮だ。杉の梁にブナやモミジなどの板が使われた純和風の湯殿なのだが、木枠の窓が洋風のウインドフレームときている。エキゾチックな雰囲気こそが法師温泉の永遠の新しさなのだろう。
 田の字型の大浴槽の底に敷き詰められた玉石の間から、熟成された実にまろやかな石膏泉が湧き上がってくる。四二・九度。水一滴加えることも沸かすこともない、神が与えてくれた究極の温泉といっていいだろう。日本に法師温泉があることを誇りに思う。

(平成12年7月にできた野天風呂付き中浴場「玉城乃湯」は沸かしているらしい)
大石真人の意見もみてみよう。

風格ある宿とあふれる足もとの源泉
 三国峠の真下、海抜八〇〇メートルの赤谷川の支流、西川の谷底にある上品で歴史の古い一軒宿だ。「日本秘湯を守る会」初代会長であった先代の主人故岡村氏の意向が継がれて、一軒宿長寿館は昔のままの旅人宿スタイルでまことに落ち着いたよい宿だ。
(略)
 浴槽は河原の石をそのまま底に敷きつめて、その間から温泉が直接に湧き出ているという全国でも珍しいもの。大きな浴槽が、旭の湯、寿の湯、滝の湯と三つあり、ややぬるいので、周りに横たえた丸太を枕に、のんびり入ることができる。足もとにぶつぶつと湯が湧き出してくるのが感じられて心地よい。
大石真人『全国温泉ガイド200選』実業之日本社1994年

私の感想もこれらに近い。
つげ義春の温泉の評価の重要なポイントは「鄙びている」ことである。
だから人気の法師温泉が気にいらないのだろう。
私が訪れたときも客が多かった。
立寄入浴は10:30からだったが、少し前に着くと、その開始を数人が待っているのだ。
これは、確かにつげ義春好みではない。
つげ義春はあまり「お湯」をみないが(たぶん)、松田忠徳は「お湯」に着目する。
永江朗は『新・批評の事情』(原書房2007年)で松田忠徳をこう評している。

 ところが松田忠徳が登場してから、私たちはお湯の質が気になるようになった。象徴的なのは「源泉かけ流し」という言葉。それまでの温泉というのは、地下からお湯がこんこんと湧いて、湯船からあふれているもの、と思っている人が多かったが松田の登場によって、温泉にもいろいろあることがわかった。代表的なのが循環式とかけ流し。

 新しい言葉、新しい概念が作られると、物事が分節化される。松田が循環式・半循環式という言葉を一般化したために(『温泉教授の温泉ゼミナール』のなかでは「源泉かけ流し」という言葉は使われていない)、それまで漠然と温泉的なものとしか思われていなかったものが分節化されるようになった。これが批評の誕生であり、批評の仕事である。新しい概念、新しい言葉を作ることで、いままで見えてなかった差異を顕在化させるのだ。もちろん循環式という言葉は松田の考案ではないけれども、これまで利用者に知られていなかった言葉を広く認知させることで、温泉一般のなかに隠されていた差異を顕在化させたのである。

なるほど。
大石真人も『温泉の文化誌』(丸善ライブラリー1995年)で「循環式」や「温泉の老化」の問題に触れているが、「源泉かけ流し」や「循環式」の概念を広めたのは松田忠徳かも知れない。
それはさておき、問題はどのような視点で温泉を評価するのかなのである。
つげ式の視点では法師温泉は「ダメ」なのだ。
(しかし、つげ義春、大石真人、松田忠徳の3人が高く評価する温泉がある。
北温泉である。
やっぱり北温泉はいいなァ。)
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(※1)『温泉教授の日本百名湯』は日経新聞に2000年4月から2年間連載されたものをまとめたものである。2002年10月5日から2004年9月25日まで連載されたものをもとに編集したものに『温泉教授・松田忠徳の新日本百名湯』(日経ビジネス人文庫)がある。

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