湯平温泉は奥平温泉だった
2008年2月23日[書を持って街へ出る] by ii氏
前回は「ゲンセンカン主人」についてほとんど触れなかった。
川村湊は『温泉文学論』(新潮新書2007年)でこう評している。
一九六八(昭和四十三)年、『ガロ』に発表されたこの作品は、『二岐渓谷』や『長八の宿』、『オンドル小屋』などの温泉宿もののなかでも少し異色であり、『ねじ式』や『必殺するめ固め』のようなシュールレアリズム的な趣が加味されているといえるだろう。
また高野慎三は『つげ義春を旅する』(ちくま文庫2001年)でこう言っている。
つげ義春は、「ゲンセンカン主人」の一か月前に「ねじ式」を発表しており、一部の読者のあいだではおおいなる衝撃をもってうけとめられていたが、「ゲンセンカン主人」もまた、「ねじ式」に優るとも劣らないほどの評価をもって迎えられた。
発表当時、私は、「ゲンセンカン主人」から「ねじ式」以上の戦慄をうけた。この作品は、闇の深淵に迫ろうとする作者の強い意思がうかがわれると同時に、自己破壊の衝動ともいうべき存在論的な内向性が露わであった。たぶん、この作品には、「ねじ式」以上に、作者の思念なり想念なりが如実に表わされたとみていい。
というような作品である。
湯宿温泉の近くに「たくみの里」があるので行ってみた。
駐車場に車を止めると、その前に小学校があり、それは私が高校時代、陸上部の夏合宿でつかっていた小学校だった。
妙に懐かしい気分になってしまった。
高校時代に「ゲンセンカン主人」の舞台とこんなに接近していたのかァ。
長寿庵という蕎麦屋で蕎麦を食べ、ある温泉に向かった。
『つげ義春の温泉』(カタログハウス2003年)に「上州湯平温泉」というエッセイがある。
つげ義春は、添田知道の「利根川随歩」という昭和15年の復刻本を手に入れる。
添田知道は「湯宿温泉あたりで土地のものと酒をくみ交わし、人に知られていない「湯平温泉」のあることを聞き出している」。
つげ義春は、湯宿温泉の近くに、湯平温泉があるのを知らなかった。
雑誌に載せるエッセイの取材で湯宿温泉に泊まり、翌日、湯平温泉を訪れる。
「宿の前には田圃をつぶしたような大きな池があり、ピラニアに似た魚がうようよ泳いでいた。池から湯気が立ち昇り、手を浸けてみると温かかった」。
その魚はテラピアという熱帯魚で食用として養殖されているらしい。
その宿の経営者は遠くにいて、中年夫婦と中学1年生の少年の3人で暮らしているようだった。
「浴客は近在の農家の老人が一、二泊ていど骨休めに来るのが主で」、「都会からの客はマレ」だという。
温泉は、「沸かし湯にしてもぬるくて、温泉というより鉱泉といった趣」。
何もすることもなく十時頃床につくと、宿の家族も寝たのか静かで、裏山の湯の流れ落ちる音だけが聴こえていた。私は、無口でひかえめな人柄の主人に親しみを覚え、こんな粗末な宿で、家族ぐるみ住込んでいる境遇を想ってみたりした。質素で慎ましい埋もれたような人生は、不遇にみえることもあるけれど、こういう辺鄙な片隅ではあっても、平穏無事に過ごせるなら悪くないのではないか、不遇なら厄災も張合をなくして相手にしなくなるのではないかと、自分の不調のことも思い巡らせていると、何かしら癒しに似た気持ちも兆し、いつか眠りに落ちた。
この湯平温泉だが湯宿温泉に近くにはみあたらない。
「上州湯平温泉」にこうある。
地図をとり出し調べてみると、湯平温泉のあるという奥平集落は分かったが♨マークはない。
どうやら湯平温泉とは、奥平温泉のことなのではないか。
奥平温泉には「遊神館」という温泉施設がある。
「遊神館」の前を通りさらに進むと「ゆびら荘」があった。
ここがつげ義春が泊まった宿に間違いない。
しかし、営業していなかった。

