つげ義春の「ゲンセンカン主人」の舞台である湯宿温泉の大滝屋に行ってきた。
といっても、2007年の8月の話である。
つげ義春の『新版貧困旅行記』(新潮文庫1995年)に「上州湯宿温泉の旅」というエッセイがある。
まずこれをみてみよう。
十四年ほど前だったか、親しい友人が、
「大発見、つげさん向きの温泉がありましたよ」
と報告に来た。
「ぼく向きの?」
と聞き返すと、
「そう、つげさんのムードにぴったり」
と得意そうに言う。
「ぼく向きのとはどういうこと?」
「うーん、なんて言うのかねえ、鄙びていてあまり知られていなくて、訪ねる人も少ないし、それに宿代も安い」
「渓谷があって、露天風呂があって?」
「いやそれはなかったけど」
「藁ぶき屋根の家があって、釣ができて」
「それもなかった」
「じゃ射的とかヌード小屋がある」
「ない」
「じゃあ何があるのよ」
「何もない」
「何もないって、それがどうしてぼく向きなのよ」
「うまく説明できないけど、行ってみれば分かりますよ」
と言われ、半信半疑で出かけてみた。
バスから降りたが、温泉の表示がないので、人に尋ねてみた。
人に尋ねてみると、家並みの裏手にもう一本旧三国街道が並行してあり、そこが温泉だと言う。行ってみると車も通れない細い道が一本あり、やはり家が並んであるだけで温泉らしさがない。わずかに宿場らしい面影が残っているが、衣料品店があり、魚屋があり、八百屋がありごくありふれている。古びて傾きかかったような家も多く、全体に貧しいなァといった感じだ。人の姿もなく路地は陽も射さず暗くひっそりとしている。すべてが沈滞しているといった雰囲気だ。本当になにもない。これがどうしてぼく向きなのだ。
小さな駄菓子屋があり、そこの老婆に宿をたずねると、7軒あるという。
でも若い人はこんなところに泊らずに、この先の猿ヶ京や法師温泉に行ったらどうかと言う。ここは年寄りしかいないと陰鬱そうに呟いた。
路地の奥まったところに宿をとると、2階の廊下の板が1枚はがれている。
部屋の畳のワラがはみ出し傾斜している。襖はぼろぼろに破れている。
そして、老婆が呪文のようなお経を唱えていて、線香の匂いもただよってくる。
つまらぬところへ来てしまったと後悔した。もう少しましな宿はなかったのか。いや何処も同じようだった。風呂に行くと年寄りばかりの混浴だった。皆おし黙っている。東北の方の湯治場は、もっと開放的で歌や踊りもあるが、ここはその陽気さがない。何故だろう。遊んだり散歩したりする環境がないせいか。冬だったので元気が失せているのか。
夜、床の中で、ここがどうしてぼく向きなのかまた考えてみるが解らない。隣りの部屋からはいつまでもお経のような声がうめくように流れてくる。「やりきれんなァ」と気持ちが滅入る。夜半、路地のほうから、
「火の用心。カッチ、カッチ」
と拍子木の音が淋しそうにきこえ、思わず寒々とし、寂寥とした気持ちが胸に迫り、人生の涯、旅の涯にきたような絶望的な気分におちこんでしまった。
しかし、つげ義春は何度も湯宿を訪れることになる。
ふと思い出すと来てしまうのだ。その都度寂寥とした思いになるわけではないが、妙に馴染めるのだ。
こんな湯宿温泉に行ってきた。
大滝屋。
きれいな建物で、温泉接骨院が併設されていて、イメージとは違った。
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高野慎三『つげ義春を旅する』(ちくま文庫2001年)の「大滝屋旅館への路地」
現在の「路地」。
手前の古い建物の奥にあるのが温泉接骨院。
その奥に大滝屋がある。
高野慎三の写真には温泉接骨院はない。
温泉接骨院は2000年にできたみたいだから、その時、つげ義春が泊まった部屋はなくなってしまったのだろうか。
私が泊まった部屋は、クーラーがなかったが、1泊2食付で5500円。
驚異的な料金だった。
このへんはつげ義春的である。
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大滝屋の風呂
湯宿温泉の路地
衣料品店
よく見ると・・・
「外出ちゅう」
他の店にも
「お客様 近所に出ております」
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4つある共同浴場のなかで一番わかりにくいところにあるもの
ここは昔のままかも知れない。
「絶望的な気分」にはならなかったが、夜は静かだった。
もう湯宿温泉は”つげ式”ではないのかも知れない
と思った。
しかし、良い雰囲気は残っている。