塩川鉱泉に行ってきた

塩川鉱泉に行ってきた。
つげ義春の「丹沢の鉱泉」(『新版貧困旅行記』新潮文庫1995年『つげ義春の温泉』カタログハウス2003年)というエッセイに登場していたからである。

丹沢では塩川と別所鉱泉の鄙びているらしいのは以前から知っていたので、二つのうちどちらかに泊まろうと予定していたのだが、塩川の休業中というのが気になった。

休業中だったのは「滝の家」という宿である。つげ義春は、「滝の家」について役場に問合わせてみると、最近経営者が替わって再開したのだと教えられた。(しかし今はない)
つげ義春は、塩川鉱泉につくと、中津川の川原の一角に新築の宿を見つける。

川原の一角に新築の明るい洋風の宿屋があった。宿の周囲を”猪料理”と染めた旗がとり囲み、おそろしく通俗的。そこから沢の方に百メートルほど入るとまた新築の宿屋があった。たしか滝の家が一軒きりのはずなのに、こんな殺風景な所に二軒も宿屋が誕生して不審に眺めた。



この「おそろしく通俗的」な宿は「こまや」ではないだろうか。
現在、塩川鉱泉には、宿屋はこの「こまや」一軒しかない(たぶん)。
やはり、つげ好みの宿が続くのは難しいのだろうか。

私は、おそるおそる、「こまや」の風呂に入った。

湯船は小さくて鉱泉っぽい。蛇口の近くに「塩川鉱泉」と書いてあるのがいい。

後から作ったような露天風呂もあったが、私は内風呂の方が良いと思った。
風呂はこのぐらいにして、先に進もう。
つげ義春的空間はもっと奥にあるのだ。

 沢は二軒めの宿屋から先は、山の割れ目のように急に狭い谷間になり、さらに百メートルほど奥へ行くと、崖の棚に目的の滝の家があった。みすぼらしい宿で、暗い谷間に挟まれているせいか、別所の渓間屋よりもっと寂れた感じで、私は感激でドキドキした。

(ちなみに、ここに出てくる「別所の渓間屋」も廃業している。別所鉱泉には、清川村ふれあいセンター「別所の湯」が出来ているので、さらにもっと通俗的かも知れない。)
さらに沢に沿って行くと滝の家の別棟のような小屋があり、その奥にはお堂があったそうだ。私が行った時もお堂があったが、立て替えられたもののようだ。

つげ義春が、「昔この谷間で良弁僧正が修行をしていたという、その縁の堂だろうか」と思ったものにはとても見えない。
そして、その奥に滝がある。

 じめじめぬかるんだ道を草を分けて尚も百メートルほど行くと、沢は行き詰まって滝が落ちていた。落差十五メートルほど、水量も細い。三方を切り立つ岩壁に囲まれて滝は少し横にひっこんで見えにくい。そのためかかなり高い位置に赤い小さな橋が架けられ滝を見物するように工夫がしてあるが、そうまでして見るほどの滝ではない。しかし、この盲腸の奥のような、暗い袋小路に佇んでいると、なんともいい表しようのない不思議な感銘を覚える。あまりにも陰々滅々として参ってしまうせいだろうか。自然の景色でこんな陰気は見たことがない。まったく救いがない。身も心も泥のように重くなる。

ここにつげ義春的空間があったのだ。

 一般の行楽客にとっては、暗い谷間とちっぽけな滝、中津川の川原は殺風景で、これほどつまらぬ所はないだろうが、私はここが、とくに滝やお堂がすっかり気に入った。鉱泉業のことはともかくとして、こんな絶望的な場所があるのを発見したのは、なんだか救われるような気がした。

川原の野球場では子どもたちが野球をしている。近くにはマス釣場もある。
「こまや」の猪料理もある(食べてないけど)。
その奥に絶望的な場所がある。
このコントラストがなんだか良い気がした。

書を持って街へ出る