ダイヤモンドや金は山奥で採れるんです。だけど、山奥にある限り、それはただの石ころに過ぎない。山のすそ野まで運んできて、貨物船に乗せて初めて価値が生じる。山奥から港までは険しいですから、その道は自分で切り拓かなければいけない。つまり、それが発想をカタチにするということだし、それは他の仕事でも同じことがいえるのかもしれません。
道をつくっている時は、もちろん不安もあります。港までは、まだ2000Kmもあるのに、今日は3mしか進まなかったとか、いくらやってもまったく埒が明かない、とか。だけど”個人”という山奥に、図体の大きい社会というものは入っていけないんです。ヘリコプターで迎えに来てくれといっても、災害じゃない限り無理なわけで。自分で見つけたダイヤは、自分で港まで運ばなくてはならない。今でも、そう思いますね。(P15-P16)
なるほど、たしかにそうなのだ。
すみません。執筆を再開しようと思います。
いままでも執筆を再開するチャンスは多々あったのですが、それらの野望も、日常的に押し寄せてくる、仕事という名の波に飲み込まれ、なかなか文章として定着させることができませんでした。
たとえば終電の東京メトロ千代田線の最後尾車両の端の席に座り、頭を窓ガラスに密着させながら、中吊り広告に目をやりながらぼうっとしていると、ときおり、とぐろ系的な思考の断片が浮かび上がってくることもあります。しかしそれは所詮、浴槽で放つ屁のように一時的なものであり、それを大事に頭の中という山奥から、「とぐろ系会議」という貨物船に乗せなくてはならなかったのです。しかし仕事という日々のビッグウェーブによって、あたかも砂浜に書いた文字のようにかき消されつづけておりました。
これはいかん。こころを入れ替えます。
相変わらず、本は読んでいましたし、いろんなものを食ってきましたので、ネタはあります。その辺を放出すべく、というか頭の中からいったん出して、いつでも参照可能な状態にするべく精進していきますのでよろしくおねがいいたします。
しかし、自分のことを差し置いてもこの文章、確かにそうだと思う。
演劇に精を出していた20代前半、美大とか芸大など芸術系の人となるべく絡むようにしていた時期があった。なぜなら、その(おそらく)斬新(であろう)発想はいったいどのように生まれてくるのか、自分たち文系学生とは異なる経路で生まれてくる(であろう)アイデアの生成過程に興味があったからである。
しかし、実際にはアイデアが生まれてくる過程に、特別なものは別段見受けられなかった。接していても普通だし。ただ感心したというか、尊敬したのは、着想したアイデアを形にするときの集中力である。「自分で見つけたダイヤを、自分で港まで運ぶ」トレーニングを日常的にしているが故なのだろなぁと今になって合点がいきました。
というか、自分もそういうトレーニングを、演劇を通じてしていた、ともいえる。というか、卒業論文を書いて大学を卒業するということは、たぶんそういうことをするということなのだろう。(私はそれが演劇だったわけで。。)
仕事をしていても、着想を実行に移すことの大変さは変わらないし、これって大事なことなのだ、多分。
■今回紹介した雑誌
ビッグイシュー日本版34号(2005.9.1)
町田康インタビューより。
ずいぶん前のものだが、なんとなく部屋のまわりをあさってたら出てきました。でもそのとおりだよ。