もう一つのエスカルゴ

今週も前回に続きフランスのトイレの話題です。エスカルゴといえばカタツムリを用いたフランスの名物料理をまず思い浮かべますが、実はフランスにはもう一つの「名物エスカルゴ」が存在するのです。このコラムで取り上げる以上それが何であるかはお分かりでしょう。そう、エスカルゴとは19世紀中ごろにパリの街で生まれた男子小用専用の公衆トイレの愛称なのです。
かつてはパリ市内のあちこちで見ることが出来たそうですが、1990年代初めごろから先週紹介したサニゼットへの置き換えが本格化し、今ではパリ市内に一箇所を残すのみとなっています。今回の旅行で実際に最後のエスカルゴに触れることに成功しましたので今週はそのレポートをお送りします。


アラゴ通りと呼ばれる通り沿いにそのトイレはあります。フランス語の呼称では「大通り」の区分になるらしく確かに車道も歩道も余裕があるのですが、そこを通る人や車はまばらで非常に静かな通りです。ちょうどそのトイレがある付近に刑務所があるのも静かさの一つの要因かもしれません。とはいえ、昼間歩いた限りではまったく危険のないのんびりした通りという印象を受けました。

これが実物のエスカルゴです。数々の先進的な機構を持ったサニゼットと比較すると相当に原始的なスタイルをしていることが分ります。しかしながら周りの風景にマッチした濃い緑のカラーリングや、弧を描いたプライバシー確保のための壁など、長い間パリの街で活躍して来たトイレにふさわしい普遍的なグッドデザインを施されていると言えると思います。
実物の写真を見て勘のいい方はなぜこのトイレがエスカルゴと呼ばれるのかに気づいたかもしれません。そう、先ほど軽く触れた「弧を描いたプライバシー確保のための壁」がカタツムリの巻貝の部分を連想させることからそう呼ばれるようになったのです。このエスカルゴという通称はパリ市民の間でかなり浸透していたのか取って代わったサニゼットも引き続きこの通称で呼ばれることが時々あるそうです。
また、このトイレには他にもいくつかの通称があり、有名なところでは後のエスカルゴのルーツともいえる有料の公衆便所(エスカルゴは無料です。)を設置したローマ帝国の皇帝ウェスパシアヌスの名前を取った”Vespasienne”(ヴェスパジエンヌ)が挙げられます。辞書やWikipediaではこの名称で解説が載っているためこれが正式名称なのかもしれません。このほかにも、エスカルゴはゲイの人々の間でいわゆる「発展場」として使われていたらしく、そうした人々の間で”Tasses”(タッス、カップを意味するフランス語)や”baies”(べ、湾・窓などを意味するフランス語)などとも呼ばれていたそうです。
さて、実際の使用感のレポートへと移りましょう。入り口は車道側に設けられており、なおかつ歩道の一段高い部分の端とトイレの壁部分の余裕が少ないため小さな子供やお年寄りの出入りには注意が必要です。内部は柱状の壁の両側に一人ずつ計二人が同時に用を足せる構造になっています。入り口からぐるっと巻貝上の壁に沿って180度回転すると日本の壁式公衆トイレの壁を一人分に区切ったようなスペースが現れ、そこに向かって用を足すという仕組みになっています。壁の上部から水がとめどなく出ており簡単な部品でその水を両側の壁に分けていますが、このトイレでは部品の調整の関係か写真とは反対側の壁に水が多くいきわたるようになっていて反対側では水しぶきが飛び散るほど勢い良く水が出ていました。一番左側の写真に写っているペットボトルは用途不明です。なお、エスカルゴには手を洗う設備は付いていません。
外側の壁は足の部分までは隠れないものの股間の下から顔までの部分は隠れるためプライバシーはきちんと確保されているように感じます。また、用を足すスペースといい巻貝状の壁との間のスペースといい全体的に狭く、人によっては窮屈に感じるかもしれません。また、事前の評判どおり用を足す壁の前に立つと日本でも懐かしい存在となったコンクリート製の壁式公衆トイレの「あの臭い」が鼻を襲います。確かにこの界隈のような人通りの少ないところでは大して問題ではなさそうですが、人通りの多い地域、それもオープンカフェの側などにこれがあったらと考えると洗練されたパリのイメージを損ねかねません。
このエスカルゴから一気に男女共用・自動洗浄・消毒のサニゼットへの進化はもしかしたら今まで世界の都市が経験してきた公衆トイレの進化の中でも最も急激なものといえるかもしれません。それだけエスカルゴの機能はシンプルかつ原始的なものでした。サニゼットの開発者はパリの公衆トイレが今だに昔ながらのエスカルゴであることに対する不満をエネルギーとしてサニゼットを開発したのでは?などとも想像してしまいます。しかしながら、100年以上パリの街に根ざしてきた公衆トイレが今だに普通に利用できるというのもこれはこれで素晴らしいことのようにも思います。今や一箇所を残すのみとなってしまいましたが、アラゴ通りに残されたエスカルゴの今後の長いお勤めを願って今回のコラムを締めたいと思います。
それではまた次週
<今回紹介したトイレ>
アラゴ通り サンテ刑務所付近(刑務所側の歩道にあります。)
メトロ6号線 サン・ジャック駅から徒歩8分
<関連リンク>
Wikipedia Urinal
小便器に関するWikipediaの解説です。今回紹介したエスカルゴについて触れられています。今回のエントリーにWikipediaは大いに活躍してくれました。
Anthony’s Home Page – Parisian Outdoor Toilet
画像が豊富です。新タイプや車椅子対応サニゼットの内部画像があります。
Scenes – 公衆トイレ・むかし
このトイレについて書かれた日本語のページです。

衛生陶器愛好家の、トイレ巡礼