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カーリング映画『シムソンズ』を観た。
トリノ五輪でカーリングを少し見たが、何となく面白そうだった。
少しボウリングっぽいからだろうか。
(私はボウリングにちょっとハマっていた時期があって、ハイスコアは226である。)
だから、ルールもわからないのに、面白そうだと感じたのかも知れない。
で、カーリング映画『シムソンズ』を観たのだが、映画について書くまえに……
スポーツは遊びの一形態であるので、まず、ロジェ・カイヨワの「遊び」論をみてみよう。
井上俊の『遊びと文化』(アカデミア出版局1981年)を参考にしながら、カイヨワの『遊びと人間』(講談社学術文庫1990年)の「遊び」について述べる。
1.定義
遊びには以下の6つの特徴がある。
(1)自由な活動
(2)隔離された活動
(3)未確定の活動
(4)非生産的な活動
(5)規則がある活動
(6)フィクションの活動
但し、(5)と(6)は相互に排他的な場合がある。どちらか一方と考えた方が良いらしい。
2.分類
カイヨワは遊びを4つの類型に分類している。
(1)アゴン (競争の遊び:サッカー、陸上競技、チェスなど)
(2)アレア (運・チャンスの遊び:ルーレット、富くじなど)
(3)ミミクリ (模擬の遊び:ごっこ遊び、仮面舞踏会、芝居など)
(4)イリンクス (眩暈の遊び:ぐるぐるまわり、スキーなど)
実際の個々の遊びのほとんどは、どれかひとつの類型から成り立っているのではなく、いくつかの類型の複合として存在する。
カイヨワの「遊び」論の4分類は興味深い。
近代スポーツは競争であるので、アゴンが基本にある。
ところが、イリンクスの例に「スキー」がある。
スキーはイリンクス(めまい)なのだ。
とくに、最後の「めまい」はカイヨワ独得のカテゴリーであるが、簡単にいえば、回転運動・落下運動・急速な移動などの物理的手段によって、あるいは薬品などの科学的手段によって、有機体の平常的な秩序(とりわけ、平常の知覚構造)を混乱させ、そこに生ずるめくるめくような混沌の感覚ないし崩壊の感覚を楽しむ遊びと考えてよい。
(井上俊『遊びと文化』アカデミア出版局1981年)
冬季五輪の種目にはイリンクス系が多い。
(もちろん競技であるのでアゴンは入っているが)
スノーボードもそうだし、ボブスレー、リュージュ、スケルトンもそうだ。
スキージャンプなんてまさに落下である。
フィギアスケートはミミクリ的側面も強いが、回転などがあるのでイリンクス的でもある。
スピードスケートはアゴンが強いが滑走感覚はイリンクスではないか。
こうしてみてみるとウィンタースポーツはみんなイリンクスに見えてくる。
(雪や氷の上で競技してるんだからあたりまえか)
では、カーリングはどうだろうか?
滑走するのはストーンである。
市川浩は『精神としての身体』(講談社学術文庫1992年)の「構造としての身体」という章で、身体の構造が生成される仕方をいくつか挙げている。
そのなかに「同調」がある。
テレビの画面で俳優が泣くと子供は泣き顔になって見ている。ボクシングの観衆は、ひいきのボクサーの動作を無意識のうちになぞり、表面的には身体を動かしていない場合でも、相当する筋肉の緊張によって、ひそかにボクサーの動きに感応し同調している。それは少しおくれて対象の動作をなぞる模倣、というよりは、むしろ対象の志向に感応し、対象の動作を先どりする予期的な同調である。バレリーナの踊りを見ているとき、われわれはバレリーナの優雅な動きを目で追っているのみならず、その形態のメロディとリズムを少しずつ先どりしている。そこで予期に反してバレリーナが失敗したときには、私は自分の身体がつまずいたような不快感をおぼえ、自分がすでにその少し先までバレリーナの動きを内面的に素描していたことに気づくのである。
(市川浩『精神としての身体』講談社学術文庫1992年)
投げ出されたストーンが相手のストーンをはじく時、ストーンにもう少し進んでもらいたい時、なぜか身体に力が入る。まるで自分が滑走しているかのように。
カーリングにおいて競技者や観衆の身体は、ストーンに同調しているのではないか。
そうであるならば、カーリングには滑走感覚がともなうのでイリンクスだといえるだろう。
しかし同調の相手が物でもいいのだろうか。
まァ、細かいことは気にしないことにしよう。
とにかく、ストーンを見ていると、滑走感覚を感じ、平常の知覚構造が混乱する。
(「コマまわし」も同じようにイリンクスでしょ)
これはボウリングの感覚に似ている。
ボウリングのボールはレーンの上をただ単に転がっているのではない。
特に上級者であればボールは高速で回転し、レーンの上を空転しながら滑走していく。
世界No.1パワフルボウラーのロバート・スミスは1分あたりの回転数が600回の超高速回転ボールを投げる(『NHK趣味悠々 目指せ200点!スポーツボウリングの世界』2004年)。
この回転を見ていると、平常の知覚構造の混乱を感じる。
ボウリングもきっとイリンクスなんだろう。
今回、言いたかったのは、カーリングとボウリングは似ている、ということです。
物を目標に向かって投げるということだけではなく、イリンクスであるという点も似ているのです。
そう感じる。
【カーリング映画『シムソンズ』を観た(その2)】