工場地帯では変哲もない建物かも知れぬ。起重機だのレールのようなものがあり、右も左もコンクリートで頭上の遥か高いところにも、倉庫から続いてくる高架レールのようなものが飛び出し、ここにも一切の美的配慮がなく、ただ必要に応じた設備だけで一つの建築が成り立っている。
聖路加病院の堂々たる大建築。それに比べればあまり小さく、貧困な構えであったが、それにも拘らず、この工場の緊密な質量感に較べれば、聖路加病院は子供達の細工のようなたあいもないものであった。この工場は僕の胸に食い入り、遥か郷愁に続いていく大らかな美しさがあった。
『日本文化私観』 坂口安吾
上は坂口安吾の「日本文化私観」で佃島のドライアイスの工場について書かれている箇所だ。
ここには美しくするために加工した美しさが、一切ない。美というものの立場から付け加えた一本の柱も鋼鉄もなく、美しくないという理由によって取り去った一本の柱も鋼鉄もない。ただ必要なもののみが、必要な場所に置かれた。…(中略)…必要によって柱は遠慮なく歪められ、鋼鉄はデコボコに張りめぐらされ、レールは突然頭上から飛出してくる。すべては、ただ、必要ということだ。その他のどのような旧来の観念も、この必要のやむべからざる生成を阻む力とは成り得なかった。…(中略)…この「やむべからざる実質」が求めたところの独自の形態が、美を生むのだ。実質からの要求を外れ、美的とか詩的という立場に立って一本の柱を立てても、それは、もう、たわいもない細工物になってしまう。
と、 「美」について書いてある。このように、昔から「工場見物」は人々の生活に根付いたものだったり、なかったり。
昨年、大晦日に友人と「京浜工業地帯」を見物することになっていた。当初、3名で行く予定であったが1名が風邪で倒れ、男2人での工場見物となってしまった。
今回は工場マニアのサイトを参考に川崎経由で
「夜光→千鳥町→東扇島→浮島町」のルートをとることにした。京浜工業地帯は運河を挟んで対岸の工場を見るのが特に美しいと聞く。がぜん高まる期待。車を走らせること数十分、工業地帯の入口ともいえる殿町に到着。
コンビニで食料と地図を購入。ルートを確認。
海の方向(工業地帯)へどんどん大型トラックが入っていく。乗用車で、しかも趣味で工業地帯へ向かうことにわずかな興奮を感じ、車を進める。
最初はぽつりぽつりの工場も湾岸に近づくにつれ、工場以外の建物が見あたらなくなってきた。道路の両脇が完全に工場やタンクとなる。風景が変わり、別世界へ(まるでディズ●ーランドのよう・・・でもないか)。二人とも車内で歓声をあげ、良い撮影ポイントはないかと辺りを見る。
夜光を越え千鳥橋を渡った先で一旦停車し、風景を楽しむこととした。
<千鳥橋からみた風景>
<千鳥町の入口にある某乳化剤工場より>
煙がたちのぼっている。この力強さが工場の魅力。
波際まで歩いてみる。やはりというか、大晦日なので従業員らしい人は見かけない。運河(千鳥運河)は何か化学的な人工的な臭いがする。
「何か、変な臭いがしないか?なんだろうこれ。」
「んー、あぁゴーフレットだな。ゴーフレット臭いな。」と友人が返す。
ゴーフレット・・・すぐにどんなものか思いだせなかったが、臭いをかいでいるうちにだんだんと、形が、あれ、こんなんだったっけなぁ。。。
「ああ、ゴーフレット臭いね。」やっと思い出した。
ゴーフレット臭かった・・・