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減るもんじゃねーだろとか言われたのでとりあえずやってみたらちゃんと減った。私の自尊心。
返せ。
とか言ってももちろん佐野は返してくれないし、自尊心はそもそも返してもらうもんじゃなくて取り戻すもんだし、そもそも、別に好きじゃない相手とやるのはやっぱりどんな形であっても間違いなんだろう。佐野なんて私にとっては何でもない奴だったのに。好きだとも言われた訳でもなく友達でもなく学校が同じだけでクラスもクラブも遊ぶグループも違う佐野明彦なんかと私はどうしてやっちゃったんだろう?
お酒のせい?
お酒のせいにするのは簡単だけど、でもそれはやっぱり違う。道義的に、とか倫理的に、とかの間違いじゃなくて、単純に本当じゃない。
本当は、ちょっとやってみたかったからやったのだ。(「阿修羅ガール」 P1)
なんだか短歌みたいに心地良い一文から始まる「阿修羅ガール」からの引用である。
作者は舞城王太郎。この人はその後、「好き好き大好き超愛してる。」にて芥川賞候補にノミネートされ、「初の覆面芥川賞作家誕生か?」と騒がれた(※1)りしていた。ちなみにこの作品は第16回三島由紀夫賞受賞作品。
書店内を散策した際、ぱっと「阿修羅ガール」というタイトルに目がとまり、ふと手に取った。そしてこの冒頭部分を読んで衝撃を受けたのだ。
すぐには購入には至らなかったのだが、書店に通うたびにこの本の冒頭だけ目を通し、書店に行くたびに衝撃を受けていた。いや衝撃を受けるために書店に通っていたのかもしれない。何度通ったことか。(買えばいいのに…)それは、タワーレコードに通りかかるたびに、目当ての音楽を試聴している感覚に近い、と思う。
「おねえちゃん、一回くらい良いじゃねぇか、減るものでもなし。な、おねえちゃん」「駄目よ、社長さん。駄目なのよ」なんていう大人の駆け引きを、思春期の男子はエロマンガなどから学ぶ。そして「アレはどうやら減らぬものらしい」と無意識的に刷り込まれるものである。それだけに「いや、減るよ。自尊心が、減るのだよ」と冒頭で宣言されるわけだから、衝撃は大きい。
小説の冒頭はとても大切である。書き出しで読者を現実からこの「阿修羅ガール」という小説の世界観へ引き込む役割があるからだ。小説家が腐心する部分のひとつであろうこの冒頭(※2)に私は魅了されてしまったわけです。
※1
朝日新聞によると
舞城さんは「73年、福井県生まれ」以外に、経歴も写真も公表していない。昨年、「阿修羅ガール」で三島賞受賞の際も記者会見はおろか、授賞式にも出てこなかった。代わりに「作品を純粋な形で読んでいただきたくて、姿と声を隠しています」とのコメントが届いた。今年になって「噂(うわさ)の真相」誌が「高校時代のアルバムから発見」という写真を掲載したが、真偽も含め本人は沈黙したままだ。
とのことです。さらに彼は春樹チルドレンであるという。一作しか読んでいないので、なんともいえないけれど。ほかの作品も読もうと思います。
※2
最初に直面するのは「書き出し」で、ここをどう対処するかは、かなり大変なことだという風に考えてほしい。
(P183)
と小説家の保坂和志は、「書きあぐねている人のための小説入門」という本の中で、小説における冒頭の重要性について、7ページほど割いて論じていたりしている。やはり大事なのですね。
■今回引用した本
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「阿修羅ガール」 新潮社 舞城王太郎
※文庫本もあるようです。