金原亭馬生の酒(2杯目)


『東京人』2003/12号は特集「志ん生 馬生 志ん朝」である。
その中の写真にこんなキャプションがついている。

楽屋での馬生(左)と5代目柳家小さん。馬生はサッポロビール、小さんは「剣菱」をよく飲んだ。

馬生はビールをよく飲んだのだろうか。
春風亭小朝はこう言っている。

馬生師匠は高座を下りてくるとビールをめしあがるんですが、いつも飲みたいわけじゃないんですよ(笑)。だけど「馬生=ビール」という印象がありますから、若手が気を利かせたつもりでビールを買ってくるんですね。気を使う方だから、ひとくち口をつけるんです。見てて飲みたくないのわかるんですよ(笑)。そういうところもやさしいですしね。
(春風亭小朝「志ん朝師匠実は……」『東京人』2003/12号)

中尾彬はこう言っている。

酒は日本酒に決まってました。着物をたたみ、タンスにしまった志乃は、今度はすり足で小走りに台所に向かうとすぐに、簡単なつまみをサッと作って、親父さんに差し出す。親父さんは何も言わずにうまそうに酒をひたすら飲んでいる。
(中尾彬「思い出の馬生、志ん朝」『東京人』2003/12号)

楽屋ではビール、家では日本酒という感じだろうか。
また、弟子の五街道雲助はこう言っている。

――馬生師匠は、よく起き抜けに一杯やってらしたということをうかがいましたが。
雲助 寝床をかたしにいくと、枕元にビールの小瓶が置いてあるんです。空いたのがね。朝、四時とかそれぐらいに目が覚めて、はばかりへ行ったついでに、小瓶を取り出してきて、その時点でもう飲んでる(笑)。寝床から階下の居間へ下りてくると、神棚に手を合わせてから、火鉢の前に座ってビヤタン(グラス)に菊正宗を注いでチビリッチビリッとやるんです。
(五街道雲助「思い出の馬生」『東京人』2003/12号)

日本酒は志ん生と同じ菊正宗だったようだ。
つぎの矢野誠一が言う、エゲツナイ商売をする日本の酒造業っていうのもきっと菊正宗だね。

「さあ、いきましょう、やってください」
 茶の間に座るのが早いか、コップが出て、一升ビンからひや酒がつがれる。やりましょうといわれ、しかも決してきらいではない身とあってはひきさがるわけにはいかないけれど、ちょっと時間が早すぎる。まだ、午後の二時をまわったばかりじゃないか。
「いいじゃないの、うまい酒のんで、少し世のなかを憂おうじゃありませんか。いや、本当に、うまいの、この酒。いけますよ、蔵元からネ、送ってもらってるやつだから」
 べつに、当方、世のなかの憂えたところでどうしようもないけれど、うまい酒というのには弱い。一口ふくんでみて、おどろいたネ。いやンなっちゃった。
 日本の酒造業って、ずいぶんエゲツナイ商売をするものだ。この銘柄の酒、最近とみに甘くなったと、いささか評判の悪いものなのだ。それが、蔵元直送となると「近ごろ、辛口のうまい酒がなくなった」なんて飲んべえのなげきが、まるでウソみたいなおいしさ。いったいどうなってんのこれ。
矢野誠一『藝人という生き方』文春文庫2001年

最後に馬生の飲み方をみてみよう。
馬生の姉、美濃部美津子はこう言っている。

馬生が仕事から帰ってくると、お酒を飲みながら、はるちゃんにその日あったことなんかをいろいろ話してました。それこそ明け方の三時、四時くらいまで毎晩のようにね。馬生のお酒の飲み方はお父さんとは正反対なんですよ。お父さんがコップ一杯のお酒をキュッと飲んじゃうのに比べて、あの子は一杯をちびちびと時間をかけて飲むの。お父さんが元気だったとき、馬生の飲み方を見て、イライラしちゃって「早く飲め!」なんて言ったことがあったわねぇ。そしたらあの子、「いいじゃないか、酒ぐらい自分の勝手に飲ませてくれよ」って、よく喧嘩してましたっけ。そんなんで長い時間、はるちゃんと飲んでるじゃない。酔ってくると、同じ話の繰り返しになったりするんですよ。でも、はるちゃんは馬生が何度同じことを言っても、そのつど初めて聞いたかのようにして付き合ってあげたの。はるちゃんも優しい人なのよね。
美濃部美津子『おしまいの噺』アスペクト2005年

同じ話の繰り返しかァ。
飲んでる方はいいけど、聞くのはつらいなァ。

書を持って街へ出る