金原亭馬生の酒(3杯目)


以前、志ん生は酔っぱらって高座で寝てしまったことを書いた。
長男の馬生はどうだったのだろうか。
高田文夫はこう言っている。

先代は五十四歳という若さでこの世を去ったが、なんとも渋い、いい芸であった。しかし寄席の一番前できいているといつもお酒くさかった
(高田文夫『毎日が大衆芸能』中公文庫2002年)

やっぱり、飲んでいた。
ついでにこんなエピソードも。
結城昌治は週刊誌に「志ん生一代」を連載したとき馬生と何度も会った。

私は何度も馬生さんに会い、会えば酒というわけで親しくなり、週刊誌の連載は一年あまりにわたったが、それがどうやら無事に終わって間もなく、今度は妙な風の吹きまわしで私が句会をやることになって、馬生さんにも入ってもらった。

さっさと投句をすませると、「あたしはみんなの邪魔をするのが愉しみで――」などといって、コップ酒をうまそうに飲みながら、高座の洒脱な口舌とまったく同じ調子で話し始める。話題が豊富でおもしろいから、句ができなくて頭を抱えている連中もつい馬生さんの話に気を取られてしまうという具合である。
(結城昌治「金原亭馬生の死に方」日本エッセイスト・クラブ編『耳ぶくろ』文春文庫1986年

やっぱり、お酒が大好きなようだ。
ところで、馬生のお酒の最大の特徴は「食べない」ことである、と思う。
弟子の五街道雲助はこう言っている。

――あまり物を食べなかったとうかがいましたが。
雲助 まるで食べないわけじゃなかったんですよ。おかみさんが料理上手でしたからね。師匠がチビリチビリやりはじめると、腹にたまらないぐらいのちょうどいい量のつまみが出てくる。
 ただ、外だと酒飲みということを意識するのか、人に見せたいのか、わざと食べないという面がなきにしもあらずで……。「あの師匠は食べないんだ」みたいにいわれると、余計そのことを意識しちゃうんです。ご贔屓にトンカツ屋に連れて行ってもらって、当然トンカツが出たんですが、結局コロモだけ食べて肉を残してきたということもありました。(笑)
――それは見栄なのか、人の期待を裏切りたくないというやさしさなのか……。
雲助 見栄もあると思うんですね。うちの師匠は老け趣味があって、年上に年上に見られようとしていたところがありました。そういう人がトンカツをばくばく食べてちゃね。(笑)
――形にこだわる。
雲助 そうそうそう。
(五街道雲助「思い出の馬生」『東京人』2003/12号)

見栄もあるのかァ。
寿司屋に行っても食べないらしい。

高田 馬生師匠がよくそちらのお店にいってらしたみたいですね。
美家古 よく、なんてもんじゃないです。もう、二、三十年の間まいんちですよ。高田 ほう、二、三十年。
美家古 カウンターの一番隅に座って、コップの冷や酒を一合ずつ入れて、何杯も飲む。
高田 あの人は飲むだけでしょう。
美家古 そうなんです。寿司なんか食べない。「今日はお腹減ってますから、じゃあ、鉄火巻きでもいただきやしょうか」
高田 アハハハハ。
美家古 で、出してやると、そののり巻き一本食って「あー、苦しい」ってんだから。
高田 それでお腹いっぱいになっちゃう(笑)。
美家古 寿司屋はつぶれちゃう。
高田 寿司屋殺しですよね(笑)。
(内田榮一(聞き手・高田文夫)「浅草芸人寿司屋ばなし」高田文夫編『江戸前で笑いたい』中公文庫2001年

カッコいいなァ。
ところで、この「弁天山美家古」は23歳の小林秀雄が穴子鮨を女に買っていった店だ。
小林秀雄が訳した『地獄の季節』の序文に、「メルキュウル版の手帳のような安本の『地獄の季節』を手にして、一日おきに吾妻橋からポンポン船に乗って、向島の銘酒屋の女のところへ行くシーンが描かれている。銘酒屋の女へ買っていく穴子のお鮨がつぶれやしないか、と秀雄は案じるのである。」

 秀雄と鮨屋で酒を飲んでいた野々上が「あの穴子鮨は、どこの鮨屋なのか」と訊いてみた。すると、秀雄は「ミ・ヤ・コだったかなあ」と呟くように答えた、という。浅草の美家古寿司といえば慶応年間創業の老舗である。
 貧乏学生だった秀雄は、酒場の女へ持っていく鮨を、一流の美家古寿司で買っていたのである。秀雄の一流へのこだわりは、すでにこのころから始まっている。さぞかし嫌味な学生だったろう。
嵐山光三郎『文人悪食』新潮文庫2000年

「美家古」に行ってみなくなった。
しかし、馬生は一流の寿司屋で食べないのかァ。
馬生の最期の酒について。
馬生は、食道ガンになったが、噺家が声が出なくなったら生きていても張り合いがない、と治療はしなかった。

 そうした日々のなかでも、あの子の傍らにはいつもお酒がありました。さすがにたくさん飲むことはできなかったけど、口が渇くとお酒で湿らせてたの。やっぱり、お父さんと一緒でお酒が好きなのよね。楽しいこと、嬉しいことがあると、決まってお酒。雪が降ったのがうれしくて飲んじゃったこともあるくらいですから。
 最期の晩もそうでした。あの日、馬生は体調がよかったようだったの。それで、あの子が、「今日は寿司でも食べに行こうか」って言い出したんです。浅草に馴染みの店があったんで、そこに行こうって。でも、いくら体調がいいったって、病人だもの、浅草まで行くのは大変でしょう? まして行ったところで、もうそれほど食べられないんだもの。だからはるちゃんが機転を利かせて「今日はね、あのお寿司屋さんお休みなのよ。だからいつもの魚屋さんで中トロ取って、家で一杯飲んだらいいんじゃない?」って、馬生に話したの。あの子も「そうか。じゃ、そうしよう」って。それで魚屋さんに中トロのお刺身を持ってきてもらってね。お盆にお酒と一緒に乗せて馬生の寝床に持って行ったの。あの子、布団の上に座って、お刺身食べながらコップに半分注いだお酒に口をつけて、こう言ったんです。
「うん、旨いよ。やっぱり刺身がいいと、酒も旨いねぇ」
って。全部きれいに食べて、最後にもう一口お酒を飲んだあと、しみじみと、
「ああ、旨かったなあ」
 そんときはあたし、気づかなかったんだけど、この言葉って、お父さんが最期に言ったのと同じだったんですよねぇ。
美濃部美津子『おしまいの噺』アスペクト2005年

「そのままスーッと、本当に眠るようにスーッと逝ってしまった。昭和五十七年九月十三日、五十四歳という若さでした。」

書を持って街へ出る