古今亭志ん生の酒(2杯目)
2005年11月 7日[書を持って街へ出る] by ii氏
前回のつづき。
●菊正宗
志ん生が飲んでいた酒は菊正宗だったそうだ。
「お父さんが飲んでいた菊正宗はね、蔵元から出来たてを持ってきてくれていたの。矢部さん(矢部酒店)が運んでくれるんだけど、店で売っているのとは別口なんだって聞いていました。だから、家に来るお客さんに『持ってきなァ』って言うと、みんな待ってましたって、重いのに一升ビン抱えて帰ったわ」
日暮里駅前の喫茶店で志ん生さんの長女、美濃部美津子さんからうかがった話。
(『東京人』2003/12号
地域雑誌「谷中根津千駄木」編集部「志ん生一家の谷根千地図」)
私も、志ん生と同じ菊正宗が飲みたいと思った。
しかし、灘の酒の出来たてをどこで飲めばいいのか?
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というわけで、灘まで行ってきました。
(前に書いた大阪旅行の3日目に行ってきました)
菊正宗記念館で試飲した酒は旨かった。
●飲み方
美濃部美津子はこう言っている。
お父さんはそういう飲み方がダメなんです。人と向かい合わせで、ジックリ飲むってのが。
お客さんや仲間と飲んでても、自分が飲みたいだけとっとと飲んで「ごめんなさいよ」つって、帰って来ちゃう。人付き合いが苦手というのもあるんですけどね。だからウチでは、お客さんにお酒を出すってことも、あんまりなかった。
(美濃部美津子『三人噺』扶桑社2002年)
飲み屋で居合わせた人に声かけられるのも嫌ってましたね。「あ、志ん生だ」ってんで、一杯どうぞと勧めてくる人もいるんですが、「俺は飲まない」って意地になっちゃうのよ。あるとき、何度も何度も勧められたことがあったらしいんです。お父さんも「いや、飲まねぇ」「絶対、飲まねぇ」とか言って、そのまま店出て車を拾ったのね。で、ふと後ろを見たら勧めてた人が徳利もって車を追っかけてきた。これにはお父さんも、
「俺も強情だけど、あの人もかなりのもんだ」
なんて妙に感心してましたよ。
(美濃部美津子『おしまいの噺』アスペクト2005年)
また家ではこんな飲み方をしていた。
――志ん生師匠はどんな生活をされていたんですか。
志ん駒 よくお酒を飲んでいましたよね。やったりとったりとかは嫌いで、コップ酒をキューッと飲むだけ。
志ん五 志ん生、馬生、志ん朝で、お酒の飲み方が全然違うんですよ。馬生師匠と志ん朝師匠は長っ尻でね。
たまたま親子三人が飲んでいた時に、倅二人が「父ちゃん、やめなよ、そんな飲み方。体によくないよ」っていさめたんですよ。志ん朝師匠は「半分飲んでさ、半分残して置いておきなよ」。そしたら馬生師匠が「でも父ちゃん、あれだろ。置いとくと誰かに飲まれちゃうような気がするんだろ」。「うんうん」ってうなずいてました。(笑)
(『東京人』2003/12号
古今亭志ん駒、古今亭志ん五「二人の弟子でいられたことが、最高の幸せだった」)
この3人が一緒に酒を飲むなんて凄い。
それにしても、志ん生はいつもコップでキューッと飲んでるなァ。
つぎにいくつかのエピソードをみてみよう。
●関東大震災のとき
古今亭志ん生『びんぼう自慢』(ちくま文庫2005年)にはこんなことが書いてある。
いよいよ、いけなくなって、浴衣ァひっかけて、表ェとび出したとき、どういうわけだか、あたしの頭ン中に、ツツーッとひらめいたのは、まごまごしていると、東京じゅうの酒が、みんな地面に吸い込まれちまうんじゃァなかろうかという心配です。
「かかァの財布ひったくって」近所の酒屋で、
「酒ェ売ってください」
「この際です。師匠、かまわねえから、もってってください」
「二円五十銭しかありませんよ」
「ゼニなんぞ、ようがすから、好きなだけ、呑んでください」
しめたってんで、あたしゃァ、そこにころがっていた四斗樽の栓をぬいて、一升ますでグイグイグイってあおりましたよ。いい酒だから、いやァうめえのなんの、あんまりうめえから、ついでにもう一ぱい、キューッ!
あたしは、酒は好きだが、そんなにバカ呑みするほうじゃァない。一ぺんに一升五合も飲みゃァ、もう十分です。
地面がゆれているのか、自分がゆれているのか分からない、へべのレケになってしまった。
(美濃部美津子は、本当は地震が怖くて飲まずにはいられなかったんじゃないか、と言っている)
●自殺
志ん生は、酒があるときいて満州に慰問に行った。
しかし、日本は敗れた。
敗れたことに伴うさまざまな事態から、志ん生は死を決意した。
ウォッカを6本飲んで自殺しようとしたのだ。
三合ぐらい入った瓶をグイグイッて三本ばかりあけてみたが、べつにどうってこともない。もう一本あけたら、やっと腹ン中がカッカと燃えて来た。
(えーい、この勢いだ!)
てんで、もう2本あけたところで、さすがにボヤーッとなって、そのまんまぶっ倒れちゃった。
(古今亭志ん生『びんぼう自慢』ちくま文庫2005年)
「おい、美濃部さん、孝ちゃん、しっかりおしよ......」
と円生の声が聞こえてきた。
「酒びたしにして鍛えて来た胃袋」のおかげで助かったそうだ。
●高座で寝る
これもよく知られてる話ですが、お父さん、高座で寝ちゃったことがあるの。新宿の末広亭のでことだわね。どこかでお酒を飲んできて、ちょうど酔いが回ったころ、自分の出番になった。それで「え~」とか言いながら下を向いて、そのまんま鼾をかき始めたわけ。あわてて楽屋にいた噺家さんが起こそうとしたらしいのよ。そしたら、お客さんがみんなして「いいよいいよ、寝かせておいてやんな」「志ん生の寝てる姿なんて、めったに見られないんだから」と言ってくれたんですって。どういうわけか、何をしても、志ん生というだけでお客さんには許されてたのね。娘からすると、本当に不思議なことです。
(美濃部美津子『おしまいの噺』アスペクト2005年)
●倒れる
昭和36年12月15日、巨人軍優勝祝賀会で志ん生は倒れた。
脳出血だった。
目を覚ましたとき、そばにはあたしと馬生、それとお弟子さんが一人いたんですが、お父さん、パチッと目を開いてね。そんとき言ったセリフが、「酒くれ」なのよ。
(美濃部美津子『おしまいの噺』アスペクト2005年)
馬生が来たから、
「おい、お前は、親孝行かい」ってきいたら、
「そりゃァお父さん、ご存じのとおりだよ」
といやがる。しめたと思ったから
「親孝行ならば、ダマッて酒ェもって来てくれ」
ってたのんだが、ドアあけて出て行ったきり、とうとうもって来やしない。あとで馬生が、
「親孝行が、あんなにこまるもんだとは、知らなかった」
なんてえことを、仲間の誰かに話したそうですよ。かかァにたのんだって同じようなもので、
「お医者がいけないというから、ダメですよ」
てんで、お医者一点張りでことわりやァがる。そこであたしゃァ、
「お医者のいうこたァきけて、亭主のいうことがきけねえのか。女房の立場で、亭主より医者のほうが大事かァ」
(古今亭志ん生『びんぼう自慢』ちくま文庫2005年)
志ん生が、倒れてからは、水で薄めた酒を飲ませていた。
「水っぽい」と言われても、特級酒から一級酒にしたからだとごまかしていた。
ところが、ある日、美津子の手が止まった。
「もうそんなに長く生きてられないんだから、ちゃんとしたお酒を飲ませてあげないとかわいそうだな」と思い、吸い飲みに薄めない日本酒を入れた。
「旨いなあ、酒はやっぱり旨いよ」
これが志ん生の最後の言葉だった。
●納豆
お父さんは納豆が大好物でした。昔、納豆売りに失敗したとき、やんなるほど食べたでしょ。普通ならそれで嫌いになりそうなもんなのに、年とってからも毎日食べてた。ほんとに好きだったんでしょうね。もっとも、あたしも、納豆、好きなんですけどね。
(美濃部美津子『三人噺』扶桑社2002年)
志ん生は、寄席に出られなかったこと、納豆売りをやったことがある。
これが、「唐茄子屋政談」的で、人前では恥ずかしくて声が出せなかったそうだ。
酒をたくさんのんでも83歳まで生きたのは、納豆のおかげではないだろうか。
納豆は肝臓に良いらしいのだ。
(全国納豆協同組合連合会)
違うかな。

