金原亭馬生の酒(1杯目)


10月31日11月7日は五代目古今亭志ん生について書いた。
今回はその長男、十代目金原亭馬生について書いてみよう。
志ん生も酒が好きだったが、馬生も好きだった。
●子供の頃
馬生は3歳の時、志ん生から養命酒を飲まされた。
「飲まされてくるしかった。でも不思議なうまさ、とでもいおうか、そんな味わいを幼な心におぼえている。」
「でも本当の酒を飲んで酔ったのは、小学校の六年の時であった。」
町内から出征兵士が出て、夜、町内の人が集まってモノを食べ、酒を飲んだ。

その時、赤ら顔のおじさんがあたしを見て、笑いながら、「オイ坊主、お前も一杯飲め」と盃を出した。出征軍人は、心配そうな顔をしてあたしを見ている。あたしは、「いただきます」とスーと飲んだ。何しろ離乳食の時よりなじんで驚きはしない。
 ワアワア騒いでいた大人達が、いっせいにこちらを見た。出征軍人の母は、
「およしなさい、駄目ですヨ」
 と、とめる。ほかの酔った大人達は、
「オイオイ飲め、飲め、日本男児じゃないか」
 あたしは平気でだまって飲みほした。
 まわりの人達は一瞬の間シーンとなったが、いっせいに拍手をし、
「その意気だ、その意気だ、もっとついでやれ」
 あたしの前には、また盃が来た。あたしは飲んだ。そしてまた来た。それも飲んだ。あたしは見えるものが全部ゆがんでいくので心細くなり、立ちあがろうとして、たおれた。

 これが、あたしの記憶にある酒に酔った最初である。その時は、酒をにくんだ。のろった。こんなものをこしらえるヤツを生かしてはおけない、と、心にちかった。
 それが今では、もし酒がこの世になかったら、と思っただけでゾッとする。酒は、あたしにとって最大の友であり、無類の友人である。そして恋人だ。酒よ、永遠なれ、この美事なるものよ。あたしは、今日も盃をあげる。オワリ。
(金原亭馬生「出征軍人の言葉」
文藝春秋編『酒との出逢い』文春文庫1990年

最後の箇所をみるにそうとう酒好きである。
ところで、馬生の長女は池波志乃である。
その池波志乃はこんなことを言っている。
「父(金原亭馬生)のヒザの上にダッコされて、父が飲む合間に『お前も飲むかい』という調子で、飲まされていたらしいのです。」
「でも断らなかったのですから、子供の頃から、お酒は好きだったのでしょう。」
「外で飲むようになったのは、中学を卒業して、俳優小劇場に入った十五歳の時からです。」
(池波志乃「お酒が縁で」
文藝春秋編『酒との出逢い』文春文庫1990年
志ん生、馬生、池波志乃と、この家の人々は酒の英才教育を受けているようだ。
●馬生の苦労
話を馬生に戻そう。
あるとき、酒席で馬生は矢野誠一にこんなことを言ったそうだ。

 金原亭馬生とはずいぶん酒席をともにした。顔をあわせればまず酒となったし、たとえそれが昼間であってもいとうとことでなかった。そんな酒席で、ひと息にのみほしたコップを伏せた馬生が、いきなりこうきり出したことがある。
「はっきり言いますが、私は親父が好きじゃない。ひとの親としては駄目ですよ。みなさん方は他人だから、自由で面白いなんておっしゃいますが、あのもののない時代、一家をほうりだして満州に行かれちゃって、残された者がどれだけ苦労したか」
(矢野誠一「古今亭の遺伝子」
『東京人』2003/12号)

志ん生が満州に行ったことは前々回に書いた。
終戦後、寄席が再開して、馬生はたいへんな苦労をしたそうだ。
馬生の姉、美濃部美津子は、立川談志との対談でこう言っている。

美濃部 そう、お父さんがいない間、馬生がずいぶん苦労をしてたんですよ。もともと志ん生の息子ということで仲間うちでは風当たりが強かったところに、志ん生は満州に行って死んじゃったという噂まで流れましたからね。
 お母さんが持っていた手帳を、亡くなってから見たら「今日も、馬生が寄席に行ってみんなからいじめられた。くやしい」って書いてあった。馬生は私たちには何も愚痴らなかったけど、お母さんには言ったんでしょうね。
(立川談志×美濃部美津子「古今亭にはかなわねぇ。」
『東京人』2003/12号)

この話は美濃部美津子の『三人噺』(扶桑社2002年)『おしまいの噺』(アスペクト2005年)にもある。
この時期、馬生はそうとう悩んだそうだ。

 しかし父が二十年五月満州へ巡業に行ったきり敗戦のため消息を絶ち、それから一年八ヵ月ぶりに元気な姿を見せるまではかなり苛酷な試練にさらされたようで、一時は落語家を諦めて踊りの師匠に転向しようと考えたくらいだったという。
(結城昌治「金原亭馬生の死に方」
日本エッセイスト・クラブ編『耳ぶくろ』文春文庫1986年

ちなみに、馬生は絵もうまい。
志ん生のは、談志曰く「ひどい」らしい。
私は鈴本演芸場の裏手にある池の端藪蕎麦で志ん生の火焔太鼓の絵を見たことがあるが、良い絵だった。
こんな絵。

今回はあまり「金原亭馬生の酒」にはならなかったが、次はもっと「酒」について書きます。

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