
松本 特にスポーツを観ながら思うんだけど、世の中で一番必要なものはリズムかもしれない(笑)。みんなテクニックとか言うんだけど、たとえばサッカーならばリズムよくちゃんとボールが回っている方が勝つ。
(「ユリイカ 2004年9月号」 P59)
これは、「はっぴいえんど」を特集したユリイカの、松本隆と町田康との対談「サビなんて知らなかったけど」からの引用である。
私はサッカーの細部に関してはまるきりわからないが、ここで言及されれいる「リズム至上主義(笑)」には共鳴できる。このリズムの問題は音楽だけのものではなく、世の中全体を覆っている問題ではないか、とすら思うことがあるのだ。だからこうも有名な人が語ってくれると、「私が考えていたことは、間違っていなかったのかもしれない」と安堵するのである。
というのも私がはある時期「リズムの良いもの=◎」という仮説を立てて、それを重視して活動していた時期があったからである。20歳から23歳くらいにかけての時期であろうか。
バンド活動をしていたとかそういうことではなく、それは演劇で、である。かつて私は演劇活動に傾倒していた時期があり、なかでも私は舞台上での世界をイメージし形にしていく演出という役割と、実際に舞台に立ちそれを表現する役者の両方を兼ねていた。
そのため、「今回の舞台のためににはこういった基礎訓練が必要であろう」と私が考えたメニューを、他の役者の人たちに混じりながら一緒に稽古をする、といった活動を日常的にしていた。そんな中でひとつわかったことは「一定のリズムに乗ってみんなで同一もしくは関連のしあう動きをすると、心地よくなってくる」という事実であった。
それはたとえばダンス的な動きでも、声を出すだけの朗読でも同一である。たとえば「外郎売(ういろううり)」という発声練習用のテキストがある。稽古の一環でそれを役者全員で朗読をしたことがある。このテキストを毎日のようにみんなで合わせる意識を持って朗読し続けると、おのおのばらばらであったリズムが、ひとつにまとまりだす瞬間がある。そしてこの状態を持続していくと気持ちよくなっていき、トランス状態に陥る。このことを発見したのが大きかった。
私はその状態を「グルーヴ感」と称し、このような心地良い状態は観客も巻き込めるはずだと思い(実際に観劇した舞台で巻き込まれる体験もした)、積極的にこのことを意識し、グルーヴ感獲得のため、いろいろな実験をしたものである。
私はいまでは、演劇からは足を洗い、会社勤めをする身分である。だからといってこのリズム問題を意識しなくなったわけではない。演劇をやっていたときと同様、やはりこのグルーヴの重要性を感じることは多々ある。
たとえばとあるプレゼンテーションのときである。とある受注を受け、それに即したものを考え、提案する。クライアントの会社に出向き応接室的な場所に通され、マンツーマンで相対するわけであるが、その際こちらから、なぜこのようなものを考案したかを含めて、プレゼンテーションをする。
ひと通りしゃべり終わると、「…」と、間が出来る。
「あれ、わかっていないのかな」と思い、補足的な説明を加えてみる。こうして間を埋める。すると相対しているクライアントは「いや、それは、わかります」との返事。そしてまたできる間。
このようなやり取りのなかでわかったのは、クライアントは本当にこれでよいのかを多方面から検討するため熟考中であったということである。当たり前のことである。その場で答えを、判断を出したかったのだ。その証拠にクライアントはタバコをふかしはじめていた。で、起こる数分の沈黙…
クライアントのことを考えずに、一方的に説明しまくったという状態、これをサッカーにたとえるならば、ただひたすらドリブルをしていた状態といえる。「リズムよくちゃんとボールが回っている」状態、つまり相手と心地よくボール回しが出来ている状態でなかったわけである。
上司に随行したプレゼンテーションを思い出してみる。プレゼンテーションが成功したもの、つまり好感触だったものについて考えてみると、それはそれでリズミカルで心地よかったような気がしないでもない。
それはプレゼンテーション自体がリズミカルであり、その後の相手とのやり取りがリズミカルであり、思わず私のうなづきまでもがリズミカルになる。「じゃあ、その方向で進めましょう」とリズミカルにその会合は終わり、リズミカルにエレベーターまで見送られ、リズミカルにおじぎして、リズミカルにエレベーターのドアが閉まる。で、動き出したエレベーターの中、みんなで築き上げたグルーヴの余韻に浸りながら1階まで降りる…
断っておくが、これは別に上司が陽気であったからとか、すばらしい美声の持ち主であったとか、そういうことではい。いくらリズムが大事だと言っても、ぎりぎりまで考え尽くしたそれなりにものを提案することなく、ただリズミカルで陽気であってもだめである。見抜かれるし、怒られる。現に上司はやはり提案するためにぎりぎりまで考え抜いている様を間近で見てきた。
と考えると、このリズミカルと言うのは、とあるテクニックを身につけるために努力するとか、極限まで考え続けるとか、俗に言う「閾値」を超えないと発生しない現象ではないか、とすら思う。
だからリズムを獲得するには、それなりの血のにじむような努力が必要なのだ。ならば私もリズミカルな男になるため、グルーヴを会議室にて巻き起こすために、日々研鑽せねばなるまい、と思うわけであり、そういう意識をもたらせてくれたこの言葉は名言なのである。
■今回紹介した本

(「ユリイカ 2004年9月号 特集 はっぴいえんど 35年目の夏なんです」 青土社 )