『エンタクシー』のせいで今回はボブ・ディラン


8月29日の「村上春樹と林家こぶ平(現・正蔵)の神宮球場」や10月3日の「高尾山ビアマウントで月見」で、ビールについて書いた。
今回もビールシリーズを書こうと思っていたが、ボブ・ディランにした。
雑誌『エンタクシー』(扶桑社2005秋)でボブ・ディランが特集されているのを見て、急にボブ・ディランについて書きたくなったのである。
『エンタクシー』には、坪内祐三の書評「「ボブ・ディラン自伝」をめぐる個人的なクロニクル」、みうらじゅんの映画評「ボブ・ディランの頭の中」、中山康樹の新譜評「現在進行形の過去/過去の現在進行形」が掲載されている。
3人とも私の好きな書き手である。
(しかし、今回は『エンタクシー』のディラン特集について書くわけではない。あくまでもキッカケ。)


●ボブ・ディランを聴く
「「ボブ・ディラン自伝」をめぐる個人的なクロニクル」で坪内祐三はこう書いている。

「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」は私が高校一年の時に初めて買ったディランのLPレコードだ(そのレコードは、「ラブ・マイナス・ゼロ/ノーリミット」や「ミスター・タンブリン・マン」のようにメロディアスで聴きやすい曲も入っていたものの、初心者には難解な曲が多かったので、私はレコード代の元を取るために何度も何度もそのLPをターン・テーブルに載せた。そしていつの間にか私はディランの音楽の信者になっていた)。

(坪内祐三は「元を取るために」に傍点を付けている)
みうらじゅんもこれに近い経験をしている。
『別冊文藝 ボブ・ディラン』(河出書房新社2002年)にこうある。

 ボブ・ディランを初めて聴いたのは、高一くらいだったと思います。吉田拓郎さんの『気ままな絵日記』という本を読んだら、ボブ・ディランが大好きと書いてあったので、拓郎さんに近づく道の一環としておさえておこうと思って。当時「ゴールドディスク」っていうぴかぴかのジャケットの企画もののベスト盤があって、それを買おうかなって思ったんですけど、オリジナル・アルバムもたくさん出てましたから、真剣に好きになるため、順を追って買ってみることにしたんです。ところが一枚目を聴いたら、すごくつらくて(笑)。まわりはみんなレッド・ツェッペリンとかディープ・パープルを聴いてるのに、僕だけがディランの一枚目(笑)。とっても苦手な声と演奏で、ものすごく嫌悪感があったんですけど、その嫌悪感の正体を知りたくて、がんばって順を追って毎月買いました。一枚買ったらおこづかい一か月分なくなりますから、もう修行ですよ(笑)。それが五枚目の『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』で、おさえていたバネが急にはずれたみたいに大好きになっちゃったんです。
 ディランは塩辛みたいなもので、最初はちょっと苦手な味なんだけど、好きになったらとことんハマっちゃう。僕が好きなのはディランの声です。「タブタレニアン・ホームシック・ブルース」でロック・サウンドに乗って今で言うとラップみたいにガンガン韻を踏んでいくのを聴いて、ぶっ飛びました。すごくビートがきいてて、たたみかけるように歌ってて。

みうらじゅんも、はじめは馴染めなかったが、聴いているうちに(修行?)ハマったようだ。
中山康樹は、『ディランを聴け!!』(講談社文庫2004年)『超ボブ・ディラン入門』(音楽之友社2003年)で、ディランは「難解」ではなくて「慣れ」が必要なのだ、と言っている。
『超ボブ・ディラン入門』をみてみよう。

 ディランが歌うとメロディーが”みえなく”なる。
 これが難解とされる要因なのです。
 ただし、だからといって”難解”というわけではない。
 なぜなら。それは”慣れ”の問題でもあるからです。
 ディランの音楽や表現に難解な要素はなく、ただ歌いかたが常人のそれといささか異なる、ゆえに難解に聞こえるにすぎない。
 ”慣れ”で克服できるもの、それはほんとうの”難解”ではないと思います。
 したがってディランを難解と思っている人は、いまだにディランを聴いたことがないか、かりに聴いたとしても、いまなおディランの音楽のなんたるかに気づいていないかのどちらかしかないと考えられます。
 結論は、こうです。
 ディランは難解ではない。
 そして、この”不思議(なぜ難解に思う人が多いのか―引用者)”を解く鍵は”時間(慣れ)”にあるとみます。

坪内祐三とみうらじゅんがディランを好きになったプロセスは、中山説の通りである。
何度も何度も(何枚も)ディランを聴いて、ディランに慣れ、ディランにハマったのだ。
実は私も中山説の通りにディランが好きになった。
私が初めてディランの聴いたのは確か高校1年の頃で『グッド・アズ・アイ・ビーン・トゥ・ユー』(1992年)というアルバムだった。
これはギター一本とハーモニカだけでディランがトラディッショナル・ソングを歌うものだった。
(これは『超ボブ・ディラン入門』の「不要なアルバムこの10枚」に入っている)
しかし、このアルバムにはハマらなかった。
つぎに買ったのは、レコードの『グレイテスト・ヒッツ Vol.1』
なぜかレコードを買った。
ベスト盤を買ってしまったのがちょっと情けない。
これは繰り返し聴いた。
通学時もウォークマンで聴いた。
高校まで自転車で3分だったけど。
そして、好きになった。
なぜこの時期ディランを繰り返し聴いたのか分からない。
坪内祐三は「元を取るために」、みうらじゅんは「嫌悪感の正体を知りたくて」繰り返し聴いたが、私はなぜだか分からないが、ディランを繰り返し聴いた。
ディランにはそういう力があるのではないか。
これは凄いことである。
「声が気持ち悪い」、好きでもない音楽(どちらかというと嫌い?)を繰り返し聴かせるなんて。
(誤解されないように断っておきますが、私は音楽をそんなに聴く方じゃないので、ボブ・ディランが好きといっても、ディープなファンじゃありません)
【『ボブ・ディラン自伝』は読めるかな】
【ボブ・ディランと吉田拓郎、とみうらじゅん】

書を持って街へ出る