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2005年7月22日

本能。

夜、夜8時をすぎると、腹が減る。

当然だ、夕食の時間だ。

しかしその時間帯に家に居るなんていうことは皆無だ。

仕事をしていることがほとんどである。

なので、とりあえず会社近くのコンビニへ行くことになる。

店内に入ると、計算、つまるところ足し算をしながら、食べたいものを厳選していく。そしてその食品を購入するか否かを判断する。

計算するのは、金額ではない。一汁三菜的なバランスでもない。

もちろんカロリーである。

300キロカロリー以内に抑えよう、などと計算するのである。

なぜそんなことをするのかというと、ここのところ、痩せようかな、と考えているからだ。

例えば休日に知人などと飲むとする。すると、アルコールが入っていくにつれ、お互い愉快な心持になる。するとその知人らは「デブ」であるとか「小太のオッサン」などといった、「おいおい、おまえ、たかだか4キロくらい太った男に投げかける言葉じゃないだろう」と思ってしまうような、暴言の謗りを散々受けるのだ。だからといって、なにかしらの反論ができるわけではない。なぜならば、彼らの視線からすれば、見えている私は事実であり、それが彼らの真実なのだから。

問題は、そういう日々が、ここのところ爆発的に増えたことである。

先日、毎年受けている健康診断の結果を見て納得した。だって体重がなんと、ここ3年で4キロも増加しているののだもの。確かに、腹部まわりをさすってみるに、たくさんのぜい肉がついているような気がしてならない。さらに食物を胃に収めてみるならば、これまでの自分では考えられないくらいに下腹部が盛り上がり、俗に言う「腹が出ている」状態になるのである。

「ならば仕方ない」と己を納得させ、酒場のテーブルの下でひそかに拳を握りしめ、心で泣いている状態なのである。

しかしそんな状況にいつまでも甘んじていられない、捲土重来的精神で乗り切りたい、そういう前向きな意識の第一歩、それがコンビニでついつい、金額よりも、カロリーに着目してしまう行為になるわけである。

そういう「計算」をしていると、ドレッシングのほうがカロリーのある、皮肉なサラダ、海草サラダやら意外とうまい春雨に落ち着いてしまうのが哀しい。おにぎりなど、カロリーが高くて手が出せない。カップラーメンなど言語道断である。

この日もコンビニにて冷たいそばとサラダを購入。これだけで腹を満たそうと考えた。これもその両者を眺めながら、解せない思いに駆られた

そもそも飯を食うという行為は、腹を満たすためのものであり、明日も生きるため、活動するための燃料とでも言うことができよう。

振り返っていまの私はどうだ。カロリーを気にしている。そして目前に並ぶラインナップのあまりにもヘルシーな組み合わせに、辟易としている。なぜか。それはカロリーとは燃料だからだ。食うくせに燃料をとらない。その矛盾に本能的に辟易しているのだ。多分。私はお金を払っていったい何を獲得しようとしているのだ!

ふんがー!

と思った次の瞬間、衝動的にそのサラダをそばに放り込んでいた。

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で、もう、どうにでもなれ、というやけくそなきもちで、かっこんだ。

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そうしたら、意外とうまかった。

それからというもの、カロリーに気をつける、という意識は次第に薄れていった。

・・・私は人間だ、なめるな!

という想いが私の心を満たしていったのだ。

しかしひとりキレたところで知人たちからの暴言が止む保証はない。


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