<狐>の書評とその書評


<狐>は1981年2月から2003年7月まで『日刊ゲンダイで』で匿名書評を連載していた。
その書評は4冊の本になっている。
『狐の書評』本の雑誌社1992年
『野蛮な図書目録』洋泉社1996年
『狐の読書快然』洋泉社1999年
『水曜日は狐の書評』ちくま文庫2004年
(私が現在持っているのは『水曜日は狐の書評』だけ)


私の本棚に、<狐>の書評の書評を含む本が2冊あった。
1冊は高島俊男の『狐の書評』の書評(『本が好き、悪口言うのはもっと好き』文春文庫1998年)、もう1冊は坪内祐三の『水曜日は狐の書評』の書評(『文庫本福袋』文藝春秋2004年)。
この2冊を使いながら、<狐>の書評をみていきたい。
<狐>の書評には2つの特徴がある(※1)。
1)短い
高島俊男は言う。

一篇がキッチリ二枚(八百字)。

『水曜日は狐の書評』の裏表紙にはこうある。

絶妙な文章、鋭い論理、わずか800字に込められた本への異常な愛情は、読者を興奮させずにはおかない!

しかし、坪内祐三はこう言う。

わずか九百字ほどのコラムを読みたくて毎週水曜日の「日刊ゲンダイ」を買っていた本好きの友人がいる。

こうも言う。

九百字弱の分量だから一行あたりの切れ味は鋭く、密度も濃い。

坪内祐三だけが900字(あるいは900字弱)と言っているが、まア、約2枚の長さである(※2)。
また、高島俊男は、<狐>を池澤夏樹と比較している。

池澤さんと狐さんをくらべると、池澤さんは貴族で気品があり、狐さんは町人で威勢がいい、という感じである。

池澤夏樹は「一篇わずか三枚弱(千百字ほど)」の書評(『読書癖』みすず書房)を書いているのだが、他の短い書評と比較されるくらい、「短さ」は<狐>の大きな特徴なのである(※3)(※4)。
この分量によって、絶妙な文章ができあがったという面は少なからずあるだろう。
短い文章では切れ味を鋭くせざるを得ないのだ。
2)片寄りがある

取りあげた本は、小説あり漫画あり、食べものあり建築あり、スポーツありギャンブルありと多種多様。

と高島俊男が言うように、幅広い分野から本を取りあげるのだが、片寄りもある。
坪内祐三は、自分と<狐>と比較してこう言う。

私と<狐>の違いは、<狐>さんの大胆さだ。私は、回ごとのバランスを考えてしまうが(先週のちくま学芸文庫に続いて今週もちくま文庫を取りあげるのはいかがなものかと思ってしまう小心者だ)、<狐>は、自分が本当に興味ある本だけを、時に片寄りが見られたとしても、取り上げる。

 例えば一九九九年六月から同十二月までの半年間で、東海林さだおの本が三回(『駅弁の丸かじり』 『某飲某食デパ地下繪日記』 『なんたって「ショージ君」』 )も登場する。山田宏一や野坂昭如も同様だ。
 きわめつけは池内紀による新訳『カフカ小説全集』。まず第一巻が二〇〇一年一月三十一号で書評され、翌々週が第二巻、さらに三カ月後に第三巻、そのまた三カ月後の第四巻と続いて行く。

スゴイ片寄りである(※5)。
なぜ、片寄るのかというと、素晴らしい本を伝えたい、と<狐>が考えているからだろう。
だから、良い本が出れば、それを紹介せずにはいられない。
バランスよりもそっちを優先してしまうのだろう。(※6)
<狐>は、<風>のような書評を

本を閉ざそうとするものです。本を閉ざして、なにを語るのかといえば、自分のことです。自分の教養、自分の眼力のことです
(『季刊 本とコンピュータ』2004冬号)

と言っている。
<狐>は「自分の教養」を語ったりはしないが、かなり確かな自分を持っているはずだ。
片寄った書評は、確かな自分のあらわれであると思う。
そんな人がなぜ匿名なのか分からないが、

わずか九百字ほどのコラムを読みたくて毎週水曜日の「日刊ゲンダイ」を買っていた本好きの友人がいる。

と書かれるくらい、「狐の書評」と意識されているのだから、<狐>はもう立派な名前になってしまっている。
だから、匿名であるとか、ないとかは、どうでもいいことなのだろう。
(ただし、<狐>の言う通り<狐>が有名人でない場合ね)(※7)
ところで、『文學界』に連載することで、<狐>の書評は、分量が増え、週1から月1の掲載になった。
それでも、「威勢のいい」、「切れ味の鋭い」書評を書き続けられるだろうか。
心配である(私は『文學界』の連載を読んでないので、ホントは心配じゃない)。
あっ、そうだ。
『水曜日は狐の書評』は100円本ではありません。
古本屋で400円で買いました。
高島の『本が好き、悪口言うのはもっと好き』はブックオフで100円で買った、ホントの100円本です。
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(※1)私が2つあると感じただけだから、一般的な話ではない。
(※2)これが坪内祐三の正確さなのかも知れない。
坪内祐三は、宇野浩二の『独断的作家論』(講談社文芸文庫)の書評でこう書いている。

 それから数字の表記の仕方。「あとがき」で、彼は、「書き足した分量だけでも千枚に近かったので、私は、この果かない仕事のために、三月の六日頃から八月の七日頃まで、凡そ百四十日ぐらいかかった」と書いている。「三月六日」とか「八月七日」ではなく、「三月の六日頃」、「八月の七日頃」と正確に書いてしまうのが宇野浩二である。そして、普通に計算すれば「百五十日ぐらい」であるはずなのに、それを「百四十日ぐらい」と書いてしまうのもの彼ならではの正確さである。
『文庫本福袋』文藝春秋2004年

そしてまた、

私はたまに、自分の文章の呼吸が宇野浩二に似てしまっていると思える時がある。

とも書いている。
(※3)短い書評といえば、私は、谷沢永一の『紙つぶて(完全版)』(PHP文庫1999年)を思い出す。一篇六百字で、その大半は匿名で執筆された。
(※4)高島は

短い書評の神品は池澤夏樹さんの『読書癖』(みすず書房)である。

と書いているが、でも書評ってだいたい3枚前後だと思うんだけど。
(※5)私は、毎回、坪内祐三を登場させているので、片寄りでは負けない気がする。
(※6)ところで、バランスを考える坪内祐三も、良い本を伝えたいと思っている。

私は、辛口書評は、よほどの場合を除いて、書かない。連載の文章の中で扱える本の数は限られているから、その貴重なスペースの中で、出来るだけ優れた本を取り上げたい。
坪内祐三『文学を探せ』文藝春秋

だから坪内祐三もほとんど貶す書評をしない。
(※7)匿名といえば、『エンタクシー』(2005春)の巻頭匿名コラムにこんな文章があった。

 新聞の書評欄なんて全然面白くないからオレはずいぶん前から斜め読みですませているが、唯一といってよいくらい愛読しているのは読売新聞の(飼)氏のコラムだな。
 まず、スピード感があるのがいいな。

書を持って街へ出る