浅草へ行く(前編)

GW特別企画ということにして、今回は100円本からはなれて(とは言っても、100円本は登場します)、4月3日、4日に行った浅草についてである。

・4月3日(※1)
友人と浅草に行った。
いや、正確にいえば、すみだ郷土文化資料館を経由して浅草へ行った。
すみだ郷土文化資料館に行ったのは、『週刊文春』(3/17号)で小林信彦が紹介していた〈東京大空襲・60年~3月10日の記憶〉展を見るためだ。

 展示場所はごく狭いところだが、いやー、密度がある。空襲の時、四歳~十二歳(ぼくと同じ)だった子が、近年に想い出して描いた地獄絵図の群れだが、そのリアルさたるや、ただごとではない。

 石川光陽の空襲写真もリアルだが、なんというか、死者の描写がアートっぽいのですね。それはそれで価値があるのだが、アマチュアの〈下手うま〉の絵にはかなわない。

小林信彦は、素人絵画121点を収めた『あの日を忘れない 描かれた東京大空襲』(柏書房)を、ぜひ多くの人に読んでもらいたい、と書いていたが、それは買わなかった。
ぼくが行ったとき、ちょうど映画の撮影をしていた。
それが、なんの映画だかいまだにわからない。
すみだ郷土文化資料館を出て、すみだ川沿いに浅草へ向かった。
すみだ川沿いを歩いていると、小沢昭一の『ぼくの浅草案内』(ちくま文庫2001年)のこんな一文を想い出した。

 浅草には川がある。
 東京にも川が縦横に流れていたが、バカが寄ってたかって埋めつくし、みんな道路にしてしまった。日本中で東京だけだろう川を失ってしまった町は。

(※2)
ちょうど花見のシーズンだったので、すみだ川沿いでは、大勢の人が花見をしていた。
その大勢のなかにあやしい人を発見した。
テンガロンハットをかぶり、映画『コブラ』のスタローン風のサングラスをかけている。
そして、赤白のストライプのシャツ。
なぎら健壱! である。
帽子とサングラスは、変装というより、なぎら健壱らしさを強調しているようにしか見えない。しかも、歩道向きに座っている。気が付いて欲しいのだろうか。
私はこのことをここに書くのを躊躇った。
浅草になぎらを見た、なんて、あまりにも話がうますぎる。(※3)
しかし、事実を書くことにしたのは、あとで、なぎら健壱の本を登場させるからである。
浅草で昼ごはんを食べたのだが、その前に、浅草について、坪内祐三・福田和也と小林信彦の意見をみてみよう。
まず、坪内と福田。

坪内 でも、国鉄の駅がなくて、交通のアクセスが悪かった分だけ、逆に、一種の陸の孤島みたいに昭和30年代~の街並みが残ったんだよ、そこが浅草のいいところ。
福田 多分、もし浅草に国鉄が通っていたら新宿みたいな大繁華街になってただろうけど、高層ビルなんかも出来ていて、もはや”浅草”じゃなくなってたでしょうね。
坪内祐三・福田和也『暴論 これでいいのだ!』扶桑社2004年

つぎに、小林。

 銀座もその一部であるところの下町という世界には、かつて、
 ・人を使う人間(主人・または旦那)
 ・人に使われる人間(番頭や小僧や女中)
 が存在していた。
 使われる人間を〈奉公人〉といったのだが、この〈奉公人〉たちが息抜きをする世界が浅草であった。
 そして、旦那衆が高い品物を買い、家族と(あるいは愛人と)食事をする場所が銀座であった。
 一九四五年までは厳然と存在し、一九六〇年ごろまでつづいたこうした身分制度を理解しないと、ギンザとアサクサの差はまったく理解できない。
 (略)
 ここで〈高度成長〉が出てくる。
 旦那と奉公人というシステムは崩れてゆく。〈商店〉は〈会社〉となり、〈奉公人〉は〈社員〉になる。民主主義社会というタテマエからいっても、そういうことになる。
 当然のことながら、〈社員〉は〈経営者=もと旦那〉と人間として平等だと考えるようになり、
「オレだって、銀座で遊んでいいんだ」と思う。
 こうして、もと奉公人の群れは銀座へと向う。3Kの浅草には行かない。
 乱暴なことをいうようだが、浅草がさびれた原因は、ここにもある。
小林信彦『私説東京放浪記』ちくま文庫1995年

浅草は、身分制度の崩壊や国鉄の駅がないことによって、さびれてしまったようだ。
しかし、いや、だから、昔の街並みが残った。
そういう所らしい。
昼ごはん。
尾張屋という蕎麦屋に入った。
永井荷風は、最晩年、日課のように尾張屋に通いつめたそうだ。
尾張屋女将・田中登美子さんはこう言っている。

いつもお昼の五分過ぎぴったりに来て、奥の帳場の目の前の指定席にどすんと座って、お茶を一杯飲んでから、決まって、”かしわ南蛮”を食べるんです。うちの自慢は天麩羅蕎麦なのに。面白いことに、毎日一分たりとも遅れずにくるんですよ。まるで名人芸。自分のために席を取っとけという意味なんでしょうねえ

ある日悪戯心を起こして、わざと別のお客様を指定席に座らせておいたんです。そうしたら先生、隣が空いているのに、いつもの自分の席に座ったお客さんの頭の上ですごい咳払いをするんですよ
(『荷風vol.3』日本文芸社にちぶんMOOK2005年)

先客が気味悪がって席を移るまで、荷風は咳払いを止めなかったそうである。
かなりの頑固爺である。
死の2カ月前、トイレで倒れ、それっきり店には来なくなってしまったらしい。
こんな頑固爺(勿論マスコミ嫌い)をカメラで隠し撮りした学生がいた。
いつも座る場所が決まっていたから、ピントを合わせやすかったそうだ。
頑固さが裏目に出てしまったということだろうか。
その写真は店内に飾ってあるそうだ。
しかし、店内を見回したが、写真がない! なぜだ?
メニューを見て気が付いた。
ここは支店だ。
荷風は本店に通っていたのに、私は支店に入ってしまったのだ。
仕方なく、お酒ともりを食べて、本店へ向かった。(※4)

間もなく尾張屋本店に着いた。
まず、天ちらしでお酒を飲んだ。
そして、いよいよメインの蕎麦、というところで、また痛恨のミスをしてしまった。
間違えて鴨南蛮を注文してしまったのだ。
荷風が食べていたのはかしわ南蛮なのに……
ところで、 『暴論』に鴨南蛮問題というのがあった。

坪内 あのね、普通の、出前なんかもしてる町のそば屋に行くと、メニューに「鴨南蛮」と書いてあっても、それが実は”かしわ”――つまり普通の鶏肉だったりするんだよ。
福田 ありますね。鴨肉は高価だから、町のそば屋では無理だったりしますから。
坪内 でも中には、町のそば屋なのに、鴨を使った鴨南蛮を出してくる店があるんだ。
福田 ほう、たいしたもんじゃないですか。
坪内 それが違うんだよ。普通の町のそば屋が低価格で使う鴨っていうのは、すごく安い鴨で、明らかにマズイんだよ。
福田 なるほど。それが鴨南蛮問題か。
坪内 だからオレ、町のそば屋で品書きに「鴨南蛮」と書いてあっても、「実は鶏肉」というのが嬉しいんだ。そもそも、かしわの方が好きだし。それでオレ、町のそば屋で「この鴨南蛮って、鶏ですが? 鴨ですか?」って聞いて、イヤな顔されたことがある。

やっぱり、かしわ南蛮がいいのかァ。(※5)
でも、荷風先生の写真は観てきましたよ。
続きは来週。
---------------------------------
(※1)坪内祐三も日記に日付を入れるそうだ。

私は今、『本の雑誌』と『ダカーポ』に日記を連載中で、公開日記でありながら、某日某日ではなく、きちっと日附を入れているのは、この「腹立半分日記」の影響――そうした方が読者は楽しめるはず――があるかもしれない
坪内祐三『私の体を通り過ぎていった雑誌たち』新潮社2005年

「立腹半分日記」とは雑誌『面白半分』で筒井康隆が連載していた日記である。
『面白半分』については、佐藤嘉尚『「面白半分」の作家たち』(集英社新書)が面白いらしい。
それと、松本哉『永井荷風ひとり暮し』(朝日文庫1999年)によれば
(※2)これはウソです。この時点では、ぼくはまだ『ぼくの浅草案内』を手に入れてないのだ。
(※3)なぎらけんいち『葛飾にバッタを見た』
(※4)あとで、 『ベスト オブ 蕎麦』(文春文庫ビジュアル版1992年)を見てみたら、尾張屋は支店の方が紹介されていたので、支店でも良かったのかな。でも、天麩羅蕎麦が紹介されてたんだけど。
(※5)しかし、ここはそうとも言い切れない。
『東京下町うまいもん』(枻文庫2003年)に、

尾張屋名物の海老天そばはさておき、10月から3月頃まで限定の「鴨南ばん」(1200円)がおすすめ。薬味の生姜が鴨の脂とあいまって、さっぱりした味わいに。

とあるので、鴨南蛮でも悪くなかったのだ。
【浅草へ行く(後編)】
【浅草へ行く②(アリゾナ編)】
【浅草へ行く②(「猫の皿」編)】

書を持って街へ出る